松山千春さん、今日67歳の誕生日を迎えました。

その誕生日を迎えたのは福井県。

今日は福井フェニックス・プラザでコンサートなのです。

本州最後、そして誕生日のコンサートと重なってきっと盛り上がることでしょう。

たくさんの拍手に迎えられて嬉しそうな千春さんの姿が浮かんできます。

千春、お誕生日おめでとう ! 



12月12日と14日に伸太郎さんがFM FUJI「Bumpy」という番組に出演されました。12月18日に発売されますニューアルバム「なあ、友よ」のプロモーションのための出演だったのですが。14日の放送の中で聴いていてビックリ。松山千春さんのことについて話されたのです。また伸太郎さんのことについても意外とあまり皆さんがご存じないのでは(県外の方は特に)…という内容などもあり。パーソナリティの石井てる美さんがいろいろ聞きだしてくださって、私にはとても楽しい番組となりました。そこで抜粋にはなりますが、30分の出演部分を2回にわけてお伝えさせていただきたいと思います。
 

 

 3時になりました。未来ターミナル FM FUJI「Bumpy」。水曜日は石井てる美がお送りしています。(拍手が聴こえる) わぁー、拍手して下ってる。さぁ、お待ちかね、この時間は“みらいterminal メイドイン山梨”。今回はスペシャルバージョン。FM FUJI「MAP OF ARTIST shintaro」でもお馴染みシンガーソングライターの伸太郎さんをゲストにお迎えしてお送りしていきます。伸太郎さん、宜しくお願いします !

伸太郎
そうです。私が伸太郎です。これ「Bumpy」では、この挨拶で皆入ってます。ダイさんの時も。(12日出演の時)


★ まあ、このコーナ―“メイドイン山梨”。今回はスペシャルバージョンということなんですが。山梨県甲府市出身の伸太郎さん。12月18日(日)に4枚目のオリジナルアルバム「なあ、友よ」をリリースされるんですよね。
 

伸太郎
ありがとうございます。

おめでとうございます。

伸太郎
ありがとうございます。

★ アルバムについてもたっぷりと。そしてまた伸太郎さんについても改めていろいろと伺っていきたいんですけれども。なんかもうお声が…。やっぱね、私が言うのも失礼ですけれども。本当にステキ !

伸太郎
僕ね、最近マスクして。キャップかぶって。サングラスして。コンビニ行くでしょう。「すいません。袋 1枚ください !」って言うと、この声で。「伸太郎さんですか」って。

 ちょっと変えないといけないぐらい。それぐらいこう耳に残る、一度聴いたら忘れられない。

伸太郎
あっ、そうですか。自分の声よくわからない。

 でも、お話しされている声も。歌ってらっしゃる声も。両方やはり、とても…。歩く太陽みたいな方ですよね。

伸太郎
僕ですか。なんかすごく照れますね。そんなこと言われると。

★ いや、ほんとに。こっちまでキラキラするというか。

伸太郎
いやいや、明るくないと。いいこと起きないから。ジメジメしていると、ジメジメすることしか起きないわけですよ。

 さりげなくすぐに、なんかこう良い言葉というかね。

伸太郎
48になるとね、なんでも出てくる(笑)。

 なんだか悩み相談する前から、こちらの心の底を見つめられているようなね。

伸太郎
いやいや、とんでもないです。とんでもないです。

 言葉をいただくんです。

伸太郎
48歳ですから。だいたい引き出しはあるわけですよ。

 だって私なんか何もしゃべっていないのに。なんかね、この間もすごいね、人生を導いてくださるそんな言葉をかけてくださったんですれども。




 伸太郎さんは今48歳とおっしゃいましたけど。何歳ぐらいから音楽の道に進まれたんですか。

伸太郎
僕ね、18歳の、山梨学院高校野球部時代に。まあ、夏の甲子園に行けずにね。ある日、監督が「ちょっと伸太郎、お前、歌うまいから。ある人に会わすから」と。秋の深まる頃に伊豆の宇佐美という所に行って、その方の前で歌いました。その方が僕の歌を聴いて「君は…応援するからシンガーソングライターになれ」と。それが作詞家の阿久 悠さんだったんです。

 阿久 悠さんのお家に急に連れて行かれたんですか。

伸太郎
デカかった~。それがこの『縹色』の水平線。木枠の窓のどこまでもこう…ある水平線。それが阿久 悠 先生の家なんですよ。

 阿久 悠 先生の家からは、どこまでも続く水平線が見えたと。

伸太郎
水平線が阿久 悠 先生の家の門かなあと思ったの。そっからです。

 ちょっと待ってください。そもそも野球部の監督が、伸太郎さんの歌が上手いのを知ったのはなんでですか。

伸太郎
あのね、野球部寮で「監督のバカヤロー」って歌ってたんです。ギター持って。そしたらみんな集まって来る。そこで監督も聴いてたり。学園祭で歌ってるのも聴いたり。そっからですね。

 その時は、もう自分で作った曲だったんですか。

伸太郎
いや違います。あの長渕 剛さんとか。尾崎 豊さんとか。浜田 省吾さんとか。

 わぁ―、なるほど。そういった音楽を聴きながら。そもそもそういった音楽はどういったキッカケで聴くようになったんですか。

伸太郎
中学時代に、友人の影響です。友達が「これ、いいから聴いてみてごらん」

 じゃあ、その頃からギターも自分で演奏されるようになったんですか。

伸太郎
もうモテたい一心ですよ。だからそれしかないんだって。音楽やっている人なんてそれしかないから。

 楽器弾けて、歌うたえて、もう男前で、野球もやってたら…。

伸太郎
言ってもいいですか。モテた(笑)。いや、モテない。モテない。(笑)

 否定しなくて全然いい。“いや、俺はモテました”って言ってくれた方が。

伸太郎
とんでもない。そこで勘違いしたんでしょうね。

 してください。勘違いじゃないですよ。実際におモテになってたんだから。

伸太郎
そこからずっと…ここまで。18の頃からだから。もう30年でしょう。

 30年モテ続け。

伸太郎
いや、そこは…。まあ、引く手あまた…(笑)。

★ でしょうよ。そりゃ、もう好きになっちゃいますって。こんなに優しいしさ。明るいし。歌うまいし。野球できるし。神は一体何ぶつを与えたんだ…っていうところですけれどもね。だから伸太郎さんのこのシンガーソングライターライフは、野球がキッカケだったともいえるわけですけれども。

伸太郎
だから僕は、もう野球で。何だろう、野球があっての人生で…。そこからいろんな方々を紹介してもらう。僕の師匠の松山千春さん。野球関係から紹介していただけるわけですよ。

 師匠は松山千春さん。

伸太郎
松山千春さんです。

 わぁ―、北海道 !

伸太郎
なかなか、あのあれですよ。怖いと思うでしょう。

★ ちょっともう尻すぼみしちゃうかもしれない。実際、お会いしたら…。

伸太郎
その怖さがね、まったくない。その…やっぱり行きついた方。トップを走っている方というのは、これだけ温和で。腰が低いんだなあと思いますね。

 えー、そうなんですね。

伸太郎
だからトップに行けない僕は、まだまだ生意気でいいと思います。

 松山千春さんからは何かこう言われた言葉とかあるんですか。

伸太郎
あのね、“ナンバーワンを目指すな”と。“オンリーワンを目指せ”。これね、『世界に一つだけの花』が出た時に…。あれ ?  あそこからいっちゃった ?  千春さんの言葉じゃない…って思ったぐらい、その以前に聞いてました。“お前はお前でしかいないんだよ。そしたらお前を愛してくれる人たちのために、お前を出せばいいだけじゃないか”そう言ってましたね。

 そんな偉大な方々の会話につなげるのも恐縮なんですけれども。いや、なんか、私も芸人とかやっててね。最初、やっぱり売れなきゃとか。こんなんじゃダメだとか。私は、なんかそういうことばかり思って人と比べてあせってたですけれども。最近は、それでもこんな私でも応援してくれる人がいたりとか。ライブに足を運んでくれてるその人たちのためにやる…。そんな幸せなことないじゃんてすごい思って。考え方が変わりました。

伸太郎
だから夢ってなんですか ?  って言われた時に。その今やってることが…もう全て夢なわけじゃん。

 そもそも叶っているわけですよ。

伸太郎
だってFM FUJIの番組でさ、こんなに適当な話をさせてもらってるんですよ。

 そんなことない。伸太郎さん、そんなことないですけど。でも私も、そう感じるようになって。仕事ひとつひとつがものすごいありがたい。あー、夢を叶えられるんだなあって思うようになって。ますます、こう自分の中で幸せなことをやらせてもらってるなって感じるようになっております。

この後は(2) に続きます