土曜は早朝旦那に迎えに来てもらい葬儀場へ。

朝食はご飯と汁物のみでした。

食堂の床、乾燥ラーメンの細かくなったのがあちこち散らばっていてびっくり!夜までドンチャン騒ぎでカップ麺をおつまみ代わりに食べてたらしい。さらに床に人が寝転がっててびっくり!酒に酔って食堂の床で寝ている模様。なんでもありだわね。

 

チラホラと弔問客がみえ、10時頃教会から牧師と教会仲間がお越しになりました。

 

礼拝?聖書読んで讃美歌歌って何かお言葉あり、最後にアーメン。私はクリスチャンじゃないので聞いてるだけ。旦那、今は教会に通っていないので何の讃美歌か知らないって言っていました。

クリスチャンは儀式が簡単な分ラクですね。절というひざまずくお辞儀とかしません。果物やお餅のお供物も要りません。

 

午後から火葬場へ。空いている火葬場が近くにないからと2時間もかけて春川(チュンチョン)方面へ。バス貸し切りで行くって言ってたけど往復は高いからと片道のみの支払いにしたそうです。なので急遽各自の車で行く事に。

アッパを乗せた霊きゅう車の助手席に旦那姉の夫(遺影持ち係)。後ろにオンマ、急遽オンマの横に旦那も乗る事になり、私は誰の車に乗るんだ〜ってなって、旦那姉の車に乗せてもらう事に。

車体が低くて外の景色が良く見えません。。。ヤバイな、、、やっぱ酔いました。途中で休憩させてもらって無事着きましたが、最後の5分くらいがかなりクネクネ道で一気に酔いがひどくなり着いてすぐ降り、吐いてしまいました やれやれ。

 

火葬場には旦那兄①の友達達4、5人も(訂正、追記→友達6人だそう。友達は棺を持つ役割だそう)一緒に行きました。いろいろお手伝いがあるのかしら?地味な普段着っぽい服装でした。

 

火葬場到着後しばらく待機、火葬の準備が出来たら呼ばれます。

火葬が終わるまでオンマ、旦那、私以外、食堂で食事。私達3人は控え室でアッパの写真の前でゴロゴロして待機していました。

火葬が終わると呼び出し、ガラスの向こうに遺骨が見えました。でもすぐに閉まり、奥で灰にして壺に入った状態で出てきました。

 

日本の式場みたいに司会者もいないし涙誘う音楽とかもありません。泣いていたのはオンマだけ。

あとでオンマが「ヌナ(旦那姉)は病院では涙流してたのに、葬式では泣きもしない」と旦那に愚痴っていました。まあ、泣くほどのアッパじゃないから仕方がない。

 

アッパがアル中で(さらにタバコ中毒も)働かないから極貧乏生活。

生活費に、犬を飼って太らせて犬肉を売っていた時期もあったそう。

アッパの兄弟達から生活費を借りて返さないので当然兄弟達からは絶縁に近い状態。

ヌナは兄弟の中でも1番賢いのに弟3人の学費の為に大学行かずに就職し、数年前に通信教育で大学卒業資格を取ったそう。

学生時代、旦那のお弁当はご飯とキムチのみだったと言う。

オンマは、山超えして徒歩数時間の道を往復して食堂で仕事をしていた時期があったそう。旦那は夜中、オンマを迎えに懐中電灯を片手に真っ暗な山道を歩き怖かったそう。

いやー、いつの時代の話しかと思うほどです。

 

さて、骨壷を持ってまたオンマ家方面の墓地のある公園へ。納骨堂で骨壷を収めて終了。

こんな感じの納骨堂↓ (イメージ画像はお借りしました。)

 

ここで一通り終わり、式場に戻り着替えて解散。午後4時半くらいでした。

 

私達がオンマを家に送って行くことになり、お昼を食べていないかったのでガラガラの食堂へ。お客さんは私達だけでした。

そば粉の料理。全部美味しかったです。

 

↓中身は大根、美味しいけど辛かった〜

 

ククスは本来は冷たいのが出ますが、暖かいのにしてもらいました。写真は少し混ぜた時のです。ここからさらに旦那が混ぜ混ぜしてしまった。

 

食事後、オンマ家に行きました。居間の床で寝ろと言う。私はイヤイヤ少し寝転がってすぐ起きましたが、オンマと旦那はイビキかいて爆睡。

夜になって旦那が起きトイレに行ったのですが、トイレの扉開けた瞬間、アンモニア臭がすごいゲロー 掃除してないのか!?キッチンのすぐ横がトイレなんですがー。トイレ我慢して帰りましたわ。

 

そんなこんなでオンマはイビキかいてずっと寝てるので、簡単に挨拶をして帰る事に。そしたらオンマ「泊まっていくんじゃないのか」って怒り出す。

ささっと外に出て帰ったんですが、旦那が「オンマ見送りに出ない事初めてだ、絶対怒ってる」って言い、帰宅後にトンボ帰りで旦那だけオンマに泊まりに行きました。

 

オンマ、怒ってヌナに電話してたらしいです。「こんな日は泊まっていくもんなのに、アイツは〜」ってカンカンだったそう。オンマは、1番可愛がってる旦那には汚い言葉を言うことないのでヌナもびっくりだったそう。

 

次回は完結編です。