今日は武豊駅前。
この胸像は武豊駅員だった高橋煕君之さん。
1953年9月25日に襲来した台風13号の影響で発生した高潮により、武豊 - 東成岩駅間の線路が流失した。この異変を武豊駅に向かって進行中の武豊行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手・高橋煕(さとし)が発炎筒を手に、東成岩方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、非常停止した後、東成岩駅まで後退し、乗客乗員約100名は難を逃れる事ができた。しかしながら高橋駅手は武豊駅に戻れず、翌日、捜索隊により、線路際で息絶えた姿で倒れている彼の姿が見つかった。
この事件は全国に報道され、高橋駅手の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、主に日本全国の国鉄職員と小中学生の募金により、銅像が建立された。
(Wikipediaより)
かつては更に南へ武豊港駅までの貨物支線(1965年廃止)と日油武豊工場へ向かう専用鉄道(電化路線。1984年廃止)が延びていた。 廃止後も近年まで構内入れ換えのための線路が南の道路を過ぎたところまで残され、踏切になっていた。(Wikipediaより)
駅の南側の踏切の南側に川があり鉄橋がかかっていた。線路をなくしたため、橋のプレートガーターが駅構内に保存されている。(なぜ?)

