自分のためのメモを公開してる

なので~~玉石混交、真偽も分かったもんじゃござんせん!

動画は後で見るかも~程度のメモっす

ま、そのまま誰も信じない! と思ってるからこそ、出してるので、

基本の考えをそこでお願いします

あ~しょうも無いのばかり拾ってます ^^;

落ち込む様なら読まない方が絶対にいいです!! www

 

 

2021年12月24日23:21頃    フィジー    M 4.5    580.78km

(深い地震。もっと深いのもたま~~にありますよ)

 

 

(2) アナスタシア・クラブ | Facebook

辰原 奈緒
昨日 8:59  · 
《どんな暴力も存在しない場所》
メグレさんが初めて
息子に会いにきて
抱っこもしたい..

ハグもしたい

ほおずりもしたい

とにかくこの手に

抱きしめたい

という想いを

あふれさせていた時

 

アナスタシアは

 

たとえ愛情からであっても

いきなり彼を

抱き上げることはおろか

こちらから声を掛けることも

触れることもしないでほしい

ここには

どんな暴力も

存在しない

彼の意識を

中断しない距離で

じっと観察して

彼のほうから気付いて

こちらに向かって

きてくれた時にだけ

あなたは彼に

触れることが出来る

 

というような話をする

シーンがありますよね。

どんな暴力も存在しない場所では

父親は我が子を抱き上げて

ほおずりをしないの??

初めてそれを読んだとき

わたしは暴力の意味を

全く理解出来ませんでした。

 

最近、アナスタシアジャパン

サイト内の監修日記で

紹介されていた「NVC」

ノンバイオレント(非暴力)コミュニケーション

という本を読んで

何がこどもに対する

一番最初の暴力なのか

ようやくはっきり分かったので

そのことについて書きました。

 

*****

わたしたちは

こどもを育てるときに

どんな暴力も

存在しない世界で

育てたいと願っている。

 

生まれたばかりの

我が子の柔らかさや

純粋さを感じるとき

この子の世界が

平和であるように

と願っている。

 

そう願いながら母親は

様々なルールを

こどもに教える。

母親以外の世界と

関わり始めると

母親のルール以外にも

一人一人の持つルールを

教えられるようになる。

 

それらはこどもにとって

時に苦痛で

やりたくないことで

理由も分からないことだけど

それぞれの大人にとっては

「守らなければならないルール」

であり

「教えなければならないルール」

だと信じている。

 

わたしはあなたに

こうしてもらえたら

うれしいのだけど

あなたがしたくないと

思うならそれを尊重するわ

とこどもに丁寧に

リクエストをすることは

現代社会でもそれほど

難しいことではないけれど

たいていの大人は

ルールを教えるとき

こどもの意思を確認しない。

 

なぜなら

たいていのルールは

こどもはすすんで

やりたがらないことだし

大人はそれを

何がなんでもやってほしいと

思っているから。

 

これらがこどもに対する

最初の暴力だと言われて

受け入れられる大人が

どれほどいるだろうか。

 

子どもに対して

「あなたの思い通りには生きられない」

「様々な人のルールに従いながら

残りの許された範囲で生きるのが

この世界のルール」だと

繰り返し繰り返し教え込むことが

こどもに暴力を教えていることだと

受け入れるのはとても勇気がいる。

 

そんなはずはない。

絶対に必要なことだ。

ルールがないと

世界は無秩序になる。

それを暴力だと

言ってしまうことのほうが

よほど暴力的だ。

 

と、まずは自分からの

猛反発を受ける。

こどもは言葉を

話せるようになると

ある疑問を頻発する。

 

なんで?

どうして?

 

こどもは物の名前より

理由を知りたがる。

納得出来ないから聞く。

なぜそのルールとやらを

押し付けられるのか

理解したくて聞く。

 

納得出来れば

従う用意はある。

だけど聞かれた大人は

こどもの頃、自分も疑問に

思ったことは忘れている。

 

大人の暴力に屈して

生きてきた記憶は

封印している。

 

なぜってなぜでも。

そういうものだから。

わたしもそうやって

生きてきたから。

そうしなければ

生きていけないと

信じて生きてきたから。

 

いまさら否定しないで。

それは痛々しいほどに

傷つきながら大人になった

すべてのこどもの叫びだ。

 

もちろん、それらを

暴力的だと認めて

回避する子育ては

勇気がいる。

 

自分が受け入れても

猛烈な周囲の反発が

予想される。

成長するにつれ

社会のシステムに

否応なしに組み込まれていく

現代社会で

どこまで我が子を

ありのままに受け入れながら

子育て出来るのか分からない。

 

だけど無意識のうちに

我が子に暴力的な態度を

取るくらいなら

周囲の暴力から

こどもを守るほうが

何倍も母親にとって

喜びであることは

疑問の余地がない。

 

母親が一度でも

世の中の何が

我が子に対する

暴力なのか気付いたら

必ずそれに立ち向かうだろう。

 

イジメだけが暴力ではない

体罰だけが暴力ではない

世の中には自分の意思に関係なく

無条件に従わなければならない

ルールがあると

信じ込ませることが暴力だ。

 

我が子を見守り続け

周囲の暴力から守り続け

どのような花が咲くのか

楽しみに待つことこそが

本来の人間を育てる行為だ。

 

だけど多くの母親は

ある日突然 

ルールが変わったので

従ってください

そう決まりました

と言われたとき 

疑問を持たず

素直に従う人間を

そうとは気付かず

一生懸命育てている。

 

この事実を

受け入れることは

大きな痛みを伴う。

 

けれど

痛みを癒して余りある

大きな希望を手にする。

 

わたしたち一人一人に

無限の可能性があると

こどもたちは

命をかけて

今日も大人に

教えてくれている。

 

なんで?

どうして?

いやだよ

そんなのやりたくないよ

 

と大声で叫び

自由を求める姿を

命がけで大人に

示してくれている。

 

それは愛だ。

こどもの世界には

どんな暴力も存在しない。

 

わたしたち

大人の中にも

まだ

必ず

その力は眠っている。

人間だけが

放射できる

愛の光を

すべての人が

持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおきに(^人^)