人々が慈善と思っている事が、実は偽善でしかない! そんな記事 を読みました
環境が整って無いから、環境を与える
それは、無理な話! 先に心を育てる!!
心が育たないと、環境を与えても、壊されてしまう
例えば、作物の育て方を教えようと、植え付けを指導する。
大きくなったかな?と見に行けば、何も無い!! 小さいうちに食べてしまったから~
育てたらどうなる? そういう展開が描けないのです
目の前しか見えていない
そういう人たちに、苗を与えるのでは無く、こうなるんですよ~!
と先に知って貰わないと、無駄! と仰ってられます
戦争が無くならないのは、その方がお金が入ってくるから~
だから、戦争を止めようとと運動する人を、止める人が出て来る。 という構図になるんだとw・・w
前に今野華都子?さんも仰ってた。
お握りを与えるのでは無く、お握りの作り方を教える、そんな事・・・
貰うだけじゃ次を待つ。 そうじゃ無くて、自分から動ける様にしてあげる。 だったと思う(^^;
「カーネギーが言っていたように、助けるべきは頑張ってる人にするべきであり、援助してくれとダダをこねるがごとく言ってくる人を援助すれば、それは大変な結果をもたらす。」
難しいですね。 残酷と見えるかもしれない、とも書かれてた
援助の手を伸ばした積もりが、本来受け取る筈だった人たちに届かない、ってのは良く聞きます。
昨日自衛権閣議決定。 これも最初はボランティアの様に行われるのかな?
助けてあげなければ・・・ って自分も助けられずにいる私には出来ない発想!
この記事に書かれている意味が、少しでも分かると、違った見方になるかもね(^☆)
纏まりませんが、この辺で・・・ ありがとうございますm(_ _)m