注: 私自身は無宗教です

信仰の話しではないです












中学一年生の時に出会い
衝撃を受け早や、30数年


結婚し出産するまでは
2〜3年に一度は読み返すくらい、何度も何度も読んだ


三浦綾子さん著書 【氷点】


1963年に朝日新聞社が、懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1000万円であり、募集要領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった
(ウィキ抜粋)



1963年に1000万円の懸賞金って、現在だといくらくらいの価値(?)なんだろ^^;

※追記 現在の価値で2億円らしいです


ドラマや映画にもなりましたが、エンタメに走りすぎて原作に忠実ではない気がします







『あらすじ』

辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害された。「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。何も知らない夏枝と長男・徹に愛され、すくすくと育つ陽子。やがて、辻口の行いに気づくことになった夏枝は、激しい憎しみと苦しさから、陽子の喉に手をかけた―。愛と罪と赦しをテーマにした著者の代表作であるロングセラー。
(「BOOK」データベースより)



この方の作品
後期は特に、宗教色が濃いとの評価もありますが、このデビュー作の【氷点】はそこまで感じません


三浦綾子さんの作品の魅力は
人間の本質を常に問い、正解も不正解もなく

善も悪もない、ただただ、人間の罪について
ひたすらに向き合う作品(初期)が多く

私も影響を多大に受け、今もなお、魅了されています


なぜ、子供が出来てからは
読む気にならなかったのか……


それは、この作品のテーマが原罪であり


『人間は産まれながらに罪を背負っている』

『人が人を裁くことは出来ない』



という、答えの見えない重いテーマに



純粋無垢な子供を前にして
全く読む気が起きず

無意識に避けた結果、数年はしばらく思い出すこともありませんでした



少し前に、大好きなフォロワーさんが三浦綾子さんの
別の著書【裁きの家】を紹介されているのを拝読し


忘れかけていた、大切な感情が
むくむくと湧き上がりました









生まれながらの罪とは


ただ、ここに私が存在するだけで
誰かにとっては苦しみを与える対象である

という、極論です


堂々と二本足で歩く私は、車椅子の方から見れば、ただそこにいるだけで
心を痛めさせている存在かもしれないし


妊婦の私は、ただただ、そこにいるだけで
子を持てない人からの
妬みの対象になり、苦しみを与える存在になり得るのだ




何も悪いことをしていない
私は誰のことも傷付けたり、苦しめたりなど
していない





と、生きることが

なんと傲慢な考えだろう


その傲慢な考えこそが、まさに罪そのものだ



と、一見こじつけに感じます
じゃあ、どう生きたらいいんだ、と
なります



みんな、下を向いて生きていくのかと
糾弾しそうになりますが(笑)


そこを
どう受け止めて解釈して生きていくのかが
問われているのだと
私は思っています



ここから先が、宗教の世界に分かれていくところではないかと






人間が人間を裁くことは、できない


でも
ここが、人間社会である限り
人間が法の下で裁くしかない


ただ、苦しめられた被害者の為に刑罰(実際は気休めに過ぎない)は存在するだけで



本当の意味で
罪人が罪を悔い、改めるかどうかは
刑罰では限界がある



罪人がいくら
罰を与えられ、大切なものを奪われようと


心から懺悔しなければ
それは、罰を受けたことにならない





人間が与えた刑罰では、悔い改める原動力にはならないんですね、結局


正に、「人は人を裁けない」 であると思う



口先だけでいくら反省の弁を述べようと
行動が伴わなければ、それは罪を認めたことにはならないのだ



傷つけられた被害者は、罪人の改まった行動でしか救われない


「反省してほしい」


被害者のたった一つの願いは
究極にシンプルだ







元旦那の不倫

そして離婚


勿論、全てにおいて
100:0で元旦那だけが悪い訳では無い

そんな事は分かってる


私が冒した罪はなんだろう
私は元旦那に、何をどう償えばいんだろう



私はまた、数年ぶりに
三浦綾子さんの【氷点】を片手に
原点に戻る時期がきてしまって
(思い出してしまって)


本意ではないので(笑)
正直少し、憂鬱ではある^^;