風の吹くまま、気の向くままに -31ページ目

風の吹くまま、気の向くままに

45歳の独身男が感じるままに日常の出来事・ニュース・スポーツ・旅等あらゆる事柄について書き綴ります。

すでに10月が過ぎている。


更新が遅れたままで、どの地点で再開を

したらいいかタイミングを掴めぬままずるずると

きてしまった。



10月に入ってからは一気に秋が深まり、

今年に限っては衣替えという年中行事も

何の違和感もなく、素直に長袖に替えられた。



また少しずつブログを更新して行きたいが

今年はこんなペースになるかもしれない。

9月9日に起きた栃木・茨城から
東北地方にかかる東日本の豪雨から
今日で一週間となる。


この時季の集中豪雨は数あれど、
あれほどの雨雲が集中して縦に
北上するのは近年記憶に無いし、
堤防が決壊して住宅が流されたり、
自衛隊に住民が救助される姿は
衝撃的であった。


時間を経る毎に民主党政権下での
事業仕分けで削減されたものが
裏目に出てきている。


でも、その背景には公共事業と称して
利権でいいようにしていた
自民党が本来の諸悪の根源であった
のに、結果風向きが
変わりさぞ自民党は正しかったという
言い方は後知恵のような気がして
ならない。


様変わりする気候とそれに対する
適切な災害対策は意味を成すものである。


議員と名の付く人達は相変わらず、
公共事業で一儲けの手段に過ぎない
だろうが、公共事業は全ては国民のため
という意識で行って欲しい。
9月2日、佐野研二郎氏がデザインしたと
される2020年東京オリンピックの
エンブレムか使用中止になった。


報道の通り、日に日に
佐野氏のエンブレムについては
疑惑がさらなる疑惑を産み、
危うく2020年東京オリンピックが
汚されたものになるところで
あり、使用中止になったことで
一安心である。


正直、あのエンブレムが選ばれた時に、
こんなのがエンブレムをなるのか
という不可解さはあった。


薄暗い色合いに、はつらつとした
躍動感もない。


場末のショットバーあたりの
ロゴマークなら通用するかもしれないが
2020年の東京オリンピックには
違和感がありすぎた。


なぜあの招致活動時に使われていた
桜のデザインが使われないのか、
不思議でならなかった。


それにあの佐野氏自体も
会見の場で「パクる」というスラングを
使っていたり、一見スーツを
模したような上着にネクタイという
センスも疑問に思わざるえなかった。


新国立競技場とエンブレムは
仕切り直しになった。


とにかく、この問題の根底には
一部の人達が儲かる形や利益を得る
ことになっていたのだ。


その証拠に非常識な建設費用や
誰も良いと思えないエンブレムが
現れたのだ。



一部の人達だけが利益を得る
システムを断ち切らないと再び
同じことが起きるはずである。


次は失敗が許されない領域に
来ている。
2020年の東京オリンピック
成功のために関係者は私利私欲を
捨てて欲しい。

早いもので今日で8月が終わる。


先ずは前回の更新から書ききれていない
事を記しておきたい。


8月19日に靖国神社と千鳥ヶ淵へ行った。
昨年は8月15日に行ったので右翼と左翼の諍いやパフォーマンス的な物に出会して度々足を止めていたが、今年は15日を過ぎたという事で全く静かであり、落ち着いて戦禍に倒れた方々に祈りを捧げる事ができた。








その後の8月は分割となった夏休みを過ごし、何かめずらしい事をするわけでもなかった。


そして下旬に来て、秋のような雰囲気に流されて軽く風邪を引き、今も引きずっている。


明日から9月である。このまま残暑が消えてくれると有り難いが、このまま易々と残暑が消えてくれるとは思えない。


残暑も秋風も感じながら9月も乗り切って行きたい。





先日とある海で勤め先のメンバーが亡くなった。



はっきりとした原因はわからないが波にのまれて

しまったようだ。



という言い方から推測されてしまうが

この亡くなったメンバーと私は関係性があまりなく

仕事以外のことではほとんど接触はなかったのである。



仏になったので生前のことはノーサイドとし割愛をするが、

例えばこれが関係性の深い仲間であればこの夏休みは

もっとも辛い8月になっていたのかもしれない。



ただその亡くなった者が私よりも年齢が若かった事とあまりにも

あっけなく亡くなった事には本当にショックではあった。



その昔、子供の頃にお盆の頃はあの世とこの世の道が繋がって

いる時期だから海や川や湖にはあまり近寄らないほうが

良いとする話を聞いたことがあった。



もちろんこの事が起きるまですっからかんに忘れてた

訳だが、こうした迷信のような伝承話も満更間違えでは

ないのかもしれない。



そう言えば毎年必ず水の事故が絶えないのも

事実ではある。



人生の終わりはいつ来るのかわからない。

それだけに一日一日を後悔なく生きなくてはならないの

かもしれないが、明日が必ず来ると信じているのも

人間なのである。



今年の夏は生命や人生の儚さを深く考えさせられてしまった。