「夢」と「目標」は違う。

「夢」は願望・・・・・すなわち、「こうなれたらなぁ。。。。」なんていう希望をあらわすものであり、実現可能性があるのかないのかといった話とは別次元の代物である。



「目標」とは自分のやりたいことを実現することを前提として、道標を立てていくことを必要とするものである。



「目標」を建てる際には、具体的な事柄を挙げていくことが重要であり、そのときに『数字』という道具が非常に客観的で具体的なものとして便利である。
自分の描いている「目標」に『日付けを書き込んでいくこと』、『達成したい金額を設定すること』など。。。。。



人間と言う生き物は必ず言い訳をする。言い訳の余地がないほどに客観的なノルマを与えて自分を雁字搦めにすることも時には必要だろう。



目標に具体性がある人とない人ではやはり『注力するエネルギー』がずいぶんと違う。そしてそのエネルギーの差は、24時間、1週間、1ヶ月、1年、10年と過ぎていくうちに人生を大きく左右してしまうほどの差になることだろう。
自分が浅はかで愚かで単純で個性がなく低脳であることをしっかりと自覚しなければいけないな~と最近よく思う。。。。。


過信が一人歩きすることの恐ろしさと言ったら・・・・・と最近よく思う。
終身雇用制崩壊、男女問題、ゆとり教育の弊害・・・・・いろんな問題が叫ばれている背景には、現代社会において『価値観の多様化』という現象が大きく影響している気がする。


情報社会の発展と共に、今までの日本では一般論であったはずの「正しいこと」の数々も、一つの「思想」でしかなくなったという例は多くあるだろう。
最近よくメディアに取り上げられている「ニート問題」の背景には、

働く=正
働かない=悪


という価値観がもはや若年層には無条件に受け入れられるものではなくなっているという現状がある。

「将来の幸福のために働く」のであれば、「じゃあもう既に働かなくても幸福な人は働かなくても良い」と考える人が多く存在している。時代の変化により、今まで自明であるとされてきたことに疑いを持つ人が増えてきたことの現れであるといえるのではないだろうか。



そんな近年によく謳われる、『人それぞれいろんな人生をおくればいいじゃないか』というキレイ事とも呼べなくもないアナーキーな考え方・・・だけど視点を変えてみれば、それはどんなところにも大量のチャンスが転がっているという捉え方もできる。


それこそどんなところにでも自分の夢を実現できるチャンスは存在していると思う。しかし前に書いたとおり、社会が個人に対して与えてくれるポリシーや思想が以前よりも少なくなってきている分、個人がよりいっそう強く太い信念や考え方を持つことを求められることとなっている。信念や考え方が弱いと、無限にチャンスがあるにもかかわらずすべてがぼやけてしまい、結局何にも見えてこないということになりそうだ。


ほんとにチャンスはどこにでもあるだろう。漠然とした生活をせずに物事の一つ一つにしっかりと目を凝らしながら生きることがチャンスをつかむためには必要になると思う。

経済、金融、人生論から男女論、時事関連ニュース、日々の戯言に至るまで、将来起業することを見据えた視点からいろいろ書き連ねていこうかと思います。