恒例となりつつある次々に起こる悪い出来事。

今日は毎月の医者へ行く日。
診察を済ませて帰りに寄った薬局。
ここでとんでもない事を言われました。
下剤を調合する検量器が壊れたので下剤を出せないという。
こんなの15年も通い続けて初めての事です。
仕方なく今月は下剤は要らないといって薬局を後にしました。
幸いこんなことを想定して在庫があったので事なきを得たが、
まったく悪い事は続くものですね。

そういえば、医者へ行くとき、
帽子を深くかぶり、マスクとネックウォーマーをして、
完全に顔がわからないようにして出掛けた。
まったく顔が隠れているわけだから、
受付の子がどういう対応をするか興味津々だった。
目しか見えてないんだからまさか僕とは思わないだろうな。
今年最初のいたずら心。
ウキウキしながら医者へ行った。
そして黙って受付の前に立つ。
だが、まだ診察券すら出してないのに、

受付の事務員の子が僕を見るなり、

「いつもの診察ですね。ハナブサさん」

う、あっさりバレとるやないか。
苦労して変装したのに……
僕が落胆したのは言うまでもない。

ま、僕の不自由な歩き方を見れば誰だってわかるだろうけどね。



さて、最近のブログはネガティブな内容が続いたので、
今回は過去の「ちょっと嬉しかったこと」を書いてみます。
大した話ではないけど読んで頂けたら幸いです。

もし過去記事と重複内容があったらその時はお許しを。

BGMにお使いください。

 


☆クラスみんなの手紙
小学校二年の途中で最初の転校をしました。
物心ついたときから生活してた町の学校。
お別れは本当に寂しかった思い出があります。
ある日、引っ越し先の自宅に前の学校から郵便物が届いた。
クラス全員が僕に手紙を書いてくれたのです。
当時は子供が多くて一クラスでも40人を軽く超えてた。
そのみんなが僕に手紙を書いてくれた。
字が下手で言葉も間違ってて意味がわからないのもあったけど、

クラス全員が僕のためだけに一生懸命書いてくれた大切な手紙。
僕にとっては何物にも代えられない宝物でした。
あの時は嬉しかった。


☆お袋のお迎え
小学校一年時の出来事。
学校の下校時に雨が降りだした。

当然僕は傘を持ってなかった。
学校から帰るに帰れず途方に暮れてたら、
お袋が傘を持って迎えに来てくれた。
迎えに来てくれたのは後にも先にもこの時だけ。
学校は自宅から結構遠かったしお袋も働いていたからね。

学校帰りに親子で歩く嬉しい時間。
優しい時が流れてたあの時は幸せ一杯だったな。


☆親父のチャーハン
両親が働いてて僕は鍵っ子だった。
家では兄貴が帰るまでいつも独りぼっち。
夜、滅多にない事だけど親父がお袋より早く帰る時があった。
僕ら兄弟はご飯が無くてお腹を空かせてたんだけど、
それを見た親父が慌ててチャーハンを作ってくれた。

背広姿を着替えもせず一生懸命作ってくれた。
お袋と同じ材料を使ってるのに味が全然違うんだよね。
初めて食べた親父のチャーハン。

一生に一度だけ味わった親父の味。
とっても美味しかったな。
いつも怖い親父が優しかったのも嬉しかったっけ。


☆兄貴とお袋
ボケちゃったお袋。
何かをしでかしては僕を悩ませた。
そしていよいよ手に負えず兄貴に相談したんだけど、
どんなに説明しても真剣さが伝わらなくて苦労した。
ある日、お袋を連れて医者に行ったとき兄貴も呼んだ。
もう限界だった僕はこの惨状を見てもらいたかったから。
重度障害者の僕は自分が生きるので精一杯。
認知症が進行したお袋の面倒までは看られない。
その僕がお袋を乗せた車いすを片手片足で押しながら医者にいた。
お袋は腰が痛いとわめき散らしてる。
この状況で朝からご飯すら食べていない僕は困り果ててた。
兄貴もここまで酷かったとは思ってなかったみたいで、
慌てて医者を済ませてからお袋を連れて帰って行った。
事態がこんなに深刻だったのがよほど堪えたのだろう。
「放っておいて済まなかった」と僕に謝りながら落ち込んでいた。
今までそういう言葉を絶対言う人じゃなかっただけに、
兄貴の真摯な態度に大変驚きました。

その後、お袋が亡くなるまで兄貴は精一杯面倒を看ました。
やはりいざとなると長男は頼りになるんですね。

老人ホームでしか親子三人が出会うことはなかったけど、

ホームの庭でお袋の車いすを優しく押す兄貴の姿。

その様子を僕は遠くからずっとずっと眺めていました。

例えどんな状況であっても三人が揃うと僕は嬉しかったです。

親子っていくつになっても良いものですね。



皆さんの嬉しかったこともコメント欄で教えてくれませんか。
きっと色々な話があるでしょうね。
楽しみにお待ちしています。