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華麗なる円盤投げ(マスターズ陸上競技)

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(9/15)運動会の前日のように、やはり寝つけず、うとうとの夜ふらふら。午前4時起床の予定が、午前2時には目が覚めて結局午前3時、富山ICに乗っていました。
 小松通過で、70kmの走行距離。・・・松山までは、この10倍か(700km)・・・一気に気が重くなり、引き返そうかと思うくらいでした。
 この日は、睡眠不足もあり、ずーっと頭がボーっとしてました。大阪から大渋滞ダッシュ(走り出す様)(いつもだそうです)。抜けるのに1時間半もかかりました。
 大阪から岡山・・・しかし、遠いげっそりバッド(下向き矢印)・・・倉敷JCTから、待望の瀬戸中央自動車道へ
 途中の早島ICは、前職の頃(25歳前後)、地盤改良工事で半年勤務してました。「事務所の女の子、可愛かったなあ。元気かな(もうおばちゃん!)」とバカなことを考えながら、いよいよ本州を離脱。



華麗なる円盤投げ(マスターズ陸上競技)   
華麗なる円盤投げ(マスターズ陸上競技)

(高速道路のため、瀬戸大橋上では停車できません。運転しながらの、決死の撮影)


 目の前に突然、大きな橋脚が現れた瞬間、感動です。しかし圧倒的な大きさです。こんな巨大な構造物、よくも造ったものです。
 しばらく橋の上を走ったら、いつの間にか坂出。四国上陸です。大学の頃は、宇高連絡船で1時間の船旅でしたが、車ならあっという間です。

 坂出から四国縦貫自動車道。海から離れて、山の中腹を走る道路です。しかし、坂出から遠いこと。松山には、午後2時半到着。計11時間半の長旅でした。
 大学時代、慣れ親しんだ松山。迷うことはないだろうと、高をくくっていましたが、環状線が新たにできてて、さっぱりわからない。唯一の目印、松山城を目指して、街の中に突入。・・・おお、そこには懐かしい松山の街角が残っているではありませんか。涙が出そうになります。

 当時、お世話になった、オートバイ屋さんにお邪魔します。
 恐る恐る入ると・・・「おお、どうしたん。仕事か?」・・・こちらが呆気にとられ、「覚えてらっしゃいますか?」
(親父さん)「覚えているよ。まあここ座れや」と懐かしい松山の言葉。・・・一気に昔話に花が咲きます。
 条件の厳しいYSPをやめて、今は普通のバイク屋さんになった模様。当時、継ぐ気のなかった息子さんも、しっかり跡取りになってました。
 「今の学生、全くオートバイに興味がない。売れるのは原付だけ。でも、利幅が大きいから、そっちのほうが良い」と、親父さん言ってました。
 奥さんも相変わらず、良くしゃべる。懐かしいひと時を過ごしました。

 松山城の麓のホテルにチェックイン。
 体を休ませる時間もほどほどに、同期の待つ、宴会会場へ。

 繁華街までは、松山市電で・・・なつかしい。30年ぶりに乗りました。この車内の雰囲気、少し油分が漂うような匂い。新型車両も走ってますが、これでなくちゃ。(すみません、市電の写真、撮影に失敗したのでネットから拝借)

華麗なる円盤投げ(マスターズ陸上競技)


 集合箇所に行くと、店の前で、後輩がお出迎え。笑顔で握手!
 部屋へ行くと、すでに2人の同期。「おお、元気か」で話も弾む。
 結局、元陸上部8人(同期5人、1年後輩3人)が集まってくれて、大宴会開始。先生6人(教育学部卒)、開業予定の医者1人、運動公園管理会社1人。

 「○○君は透析を始めるそうだ」「私は教壇で立ちっぱなしなので、夕方になると膝が痛くなるのよ」・・(もっと痩せるか、筋トレしなさい)「お前(私のこと)、髪の毛染めてないんか?いいなあ」「俺、遠近両用メガネ」とか、この歳になると正常な人なんていませんよね。陸上でいくら鍛えても、寄る年波には勝てず!
いやあ、楽しかったです。

 続く