今回は奈良県にある水の神様、丹生川上神社⛩を巡りました。
今回で2回目となります。
「丹生川上神社」
丹生川上神社は、天平宝字7年(763)5月28日「旱続きのため、幣帛を畿内四か国の神々に奉り、そのうち丹生川上には幣帛に加えて黒馬を奉った」(『続日本紀』)という記述によって歴史上に初めてあらわれます。
以後、応仁の乱の頃までには九十六度もの祈雨奉幣祈願があったと記録にみられることから、当社がいかに重要な神社であったかが伺えます。
しかしながら、都が京都に遷り戦国時代以降はそのような奉幣祈願も中断され、丹生川上神社はいつしか蟻通神社(※)と称され、ついには所在地さえ不明となってしまいました。
明治維新後、所在不明とされた丹生川上神社の研究調査が行われました。調査では、明治4年(1871)に丹生村(現在の下市町)、続いて明治29年(1896)には川上村の神社が有力視され、それぞれ官幣大社丹生川上神社下社・上社とされました。
しかし、大正11年(1922)当村出身の森口奈良吉翁による「蟻通神社こそが丹生川上神社である」と定義した研究調査が認められ、当社が官幣大社丹生川上神社に列格され、通称「中社」と位置づけられました。
しかし、大正11年(1922)当村出身の森口奈良吉翁による「蟻通神社こそが丹生川上神社である」と定義した研究調査が認められ、当社が官幣大社丹生川上神社に列格され、通称「中社」と位置づけられました。
ここに従来の二社に当社を加え、ひとつの「官幣大社丹生川上神社」となりました。
そこで「官幣大社丹生川上神社」の社務所を当社に移して、下社・上社を統括して祭務を行なってきましたが、戦後神社制度の変遷によって三社は独立。当社は「丹生川上神社」と登記され、それぞれの社名をもって別々の神社となりましたが、氏子の気持ちに寄り添い、三社あわせて「丹生川上神社」として今日に至っています。
-丹生川上神社HPより-
丹生川上神社、中社になります。
東吉野村です。
水の神様。
黒馬が雨を降らせ、白馬が雨を治めるといいます。
こちらは丹生川上神社、上社。
川上村です。
1350年祭があるようです。
令和7年が1350年目となるようです。
川上村にはダム湖に龍がいます。
ダム水位が高く顔しか出ていません。笑
今日は池原まで行き泊まりです。
宿泊は「民宿もりなか」さんにお世話になります。
晩ごはん。
食べ過ぎ注意!
美味しくてつい食べ過ぎてしまいます。
丹生川上神社下社⛩はまた今度。