8月8日(火)発売。
 
 伝説となった零戦ニ一型
「大空のサムライ」 坂井三郎搭乗機
  
 日本海軍 艦上戦闘機
三菱 零式艦上戦闘機ニ一型  坂井 三郎機
 
 
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日本の戦闘機の撃墜王として最も知られている存在といえば「坂井 三郎」氏である。
太平洋戦争初期の零戦が無敵であった時期に撃墜王として活躍した人物である。
 
 
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第二次世界大戦前半の昭和15年(1940)から17年の中頃で、世界で最も優秀な戦闘機といえば日本海軍の零戦が必ず候補にあがる。
 
実際、昭和17年夏頃まで零戦は無敵であった。
しかし、空戦の主流が格闘戦から速度や急降下性能を重視する一撃離脱に変わった後期には時代に合わない存在になっていた。
 
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欧米機に勝つために軽量化や設計的な工夫や努力が優れた機体を生み出した。また、それを使いこなした日本海軍の優れた搭乗員を忘れてはならない。
 

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最も敵機を撃墜した搭乗員は岩本徹三中尉だと言われているが、最も知られた搭乗員は坂井三郎中尉と言われている。

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3回目の試験でパイロットに合格した坂井氏は3年後フィリピン攻撃作戦に参加アメリカ航空兵力を一掃する。その余勢をかって現インドネシアへ進出し、着実に撃墜スコアを伸ばしていった。

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昭和17年8月7日、米海兵隊がガダルカナル島上陸作戦を開始、同日坂井氏は攻撃に向かうが敵戦闘機を艦爆機と見誤り不用意に後方へ回った時、後方旋回機銃により右目視力を失い戦闘機パイロットのキャリアはここで終わる。

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11月にはすでに零戦も三二型が登場し坂井の零戦二一型の戦いは一区切りつく。
終戦は教官として迎える。

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その後は「大空のサムライ」を執筆し一躍有名になった。
 
 
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次号は
 
偉大なるメッサーシュミットBf109の最終進化系、クーアフュスト。
 
ドイツ空軍 メッサーシュミットBf109K-4
 
 
8月22日(火)発売。