ヨガでは

生きている経験の中で作り上げた価値観や概念の事を

チッタブリッティ

といいます。

経験とゆう記憶の中で創り上げられた固定概念は

そう簡単には変えられないもの。

傷つきたくなくて

強い自分

明るい自分

気にしない自分

優しい自分

鈍感な自分


何枚も何枚もスーツを着重ねて

裸の心を守ろうとする

その、着重ねたスーツこそが

チッタブリッティ

なのです。

ヨガは、そのスーツを一枚一枚脱いでいく作業の事。

何枚も何枚も着重ねたスーツの中にいる、裸の心の声に耳を傾けていく

真の自分とつながる事がヨガなのです。


真の自分の声に耳を傾ける事で

潜在意識が求めているものを引き寄せるとも言われています

だけどね

偉そうに、ツラツラと書いたけど

本当の自分の声が

聞こえない時もある

どう聞いたらいいのか、分からなくなる時もある

長くヨガをしていても

ヨガの哲学を頭で理解していても

実践してみると、なかなか難しいし

ヨガの先生だからって、いつも自分の心の声が聞こえるわけじゃない

聞こえたからって何なんだって思う時もある。

自分を理解する事って

他者を理解するより難しい。

だって、自分をリアルに客観視する事は

永遠にできないから

ヨガの先生とゆうスーツを着ているけど

もちろん、スーツを脱げば

ヨガを実践する生徒の1人。

スーツの中にいる私は

本当の裸の心は

良くも悪くも昔から何も変わってない

きっと、ずっと変わらないし変われない

ただ、年齢を重ねる毎に

着重ねるスーツの量は増えたと思う。

中の私は変わらないけど

スーツはどんどん増えて着膨れしてる

色んな顔を使い分ける事が出来るようになったとも言うんだろうが⬅︎それが大人なのかな

だけど時々

全てのスーツを脱ぎ捨てても、私を受け入れてくれる人がいるのかな?

とも、思ったりして

脱ぎかけたスーツを、もう一度着直す事も度々あったりする

大人になると

色んな事を綺麗に収めようとするから

スーツを着直した方が、綺麗に収まる事が多いのだ

今は、そんな感じで

スーツを脱ごうとしては、肩まで脱いで

相手の様子を伺って

また着直す。

この繰り返しだな…と、チッタブリッティについて考えていた今日この頃

皆さんは、何枚のスーツを着てますか


ヨガで軽装にしていきたいものですね

最近、感傷的だなぁ。

どうしたんだろう。

寒くなってきたからかな。

なんせ冬が苦手なものでね。。


ずっと夏がいい。

だって寒いと

いっぱい服を着重ねないといけないからね。⬅︎ちょっとうまく〆られたんじゃない?

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mico