2008年2月28日(生後1日目)


眠れない夜だった。
痛みで数分毎に目覚めていた気がする。



朝からのどの渇き、口の渇き。

気分が悪くなる。


傷の確認や検温、血圧測定、点滴…。

午前中は、うつらうつらと過ごした。



昼、待望の水分補給。

38時間ぶりにお茶を飲んだが、むせてしまう。

傷が痛くて、満足に咳もできなかった。



赤ちゃんの入院等の手続きをする為、昼過ぎに主人が来た。

出生届も出してきてくれるという。

赤ちゃんの名前は
「ちひろ」ちゃん。

主人が考えた名前だ。



主人は、手続きに行く前に、チーチャンのいるNICUへ行った。

そのまま仕事へ。


お腹が痛くて起き上がる事さえできない。

看護師さんに無理矢理立たされて、着替えをした。

何とか車椅子に座り、看護師さんとNICUへ向かった。



…NICUの薄暗い部屋に、保育器に入ったチーチャンがいた。


昨日の手術は、夢だったのかも…
という感覚もあったのだが、目の前に我が子を見て、

改めて出産した実感がわいてきた。


傷の痛みを我慢して保育器にしがみつき、我が子を覗く。


…呼吸器、点滴、心電計、たくさんの管につながれた我が子。

眠っている姿を見て、ほっとして、泣けてきた。


よく…よく頑張ってくれたね。

小さい体で産んでしまい、ごめんね。

本当にごめん。

けれど、生きていてくれて、ありがとう。



…色々な思いが頭を駆け巡り、大泣きしてしまった。

入院してから、初めて人前で号泣したかもしれない。



NICUから戻って、一休みし、夕方には大部屋に移動した。

赤ちゃんも同室で入院している人が一人いたが、次の朝、退院するという。



夜は流動食が出た。

まるで離乳食のよう。

それでも、美味しく感じた。



夕飯後、初めての搾乳。

マッサージされるが、ものすごく痛い。

傷もまだ痛いのに。

だがこれが出ない限り、チーチャンは大きくなれない。

そう思うと、耐えられた。


ほんのわずかだが、母乳が出た。



また痛みに堪える夜になった。







未熟児サイト保護会