①斎藤貴男著『民意のつくられかた』(岩波書店)
内容は、原発神話、国の政策のPR、民主党の掲げる「新しい公共」、東京への五輪招致、選挙及び捕鯨についてと、多岐にわたっている。
著者の斎藤さんは、日本では最近「民意」が重視されるようになってきていて、それは好ましいものの、「どこか釈然としない感覚」をもっていたそうだ(vi頁)。それは、「民意」とは何であるのかという問いにつながる。政府または大企業の思惑があり、一応民主主義であるこの国ではそのまま押し付けることができないので、中身のない、空っぽの「民意」という化粧が施されているのではないかというのが、著者の考えるところだと思う。
②森達也著『極私的メディア論』(創出版)
本書は、月刊誌『創』2005年7月号から2010年4・5月号までに連載されたものが収録されている。内容は「極めて私的なメディア時評」(6頁)である。
テレビなどのメディア関係者の気持ちの有り様として、「人を傷つけないのではなく人を傷つける覚悟。開き直れという意味では決してなく、その覚悟をまずは」することが必要であるという(107頁)。誰も傷つけずに済めば一番よいが、例えば、死刑制度や原発に関する論争などでは、そうはいかない。でも、互いに利益や信念が関係しているので、それでもそうしなければならない状況があるのが現実である。
内容は、原発神話、国の政策のPR、民主党の掲げる「新しい公共」、東京への五輪招致、選挙及び捕鯨についてと、多岐にわたっている。
著者の斎藤さんは、日本では最近「民意」が重視されるようになってきていて、それは好ましいものの、「どこか釈然としない感覚」をもっていたそうだ(vi頁)。それは、「民意」とは何であるのかという問いにつながる。政府または大企業の思惑があり、一応民主主義であるこの国ではそのまま押し付けることができないので、中身のない、空っぽの「民意」という化粧が施されているのではないかというのが、著者の考えるところだと思う。
②森達也著『極私的メディア論』(創出版)
本書は、月刊誌『創』2005年7月号から2010年4・5月号までに連載されたものが収録されている。内容は「極めて私的なメディア時評」(6頁)である。
テレビなどのメディア関係者の気持ちの有り様として、「人を傷つけないのではなく人を傷つける覚悟。開き直れという意味では決してなく、その覚悟をまずは」することが必要であるという(107頁)。誰も傷つけずに済めば一番よいが、例えば、死刑制度や原発に関する論争などでは、そうはいかない。でも、互いに利益や信念が関係しているので、それでもそうしなければならない状況があるのが現実である。