あれから10年が過ぎた。
あのなめくじ男は毎年梅雨の時期に、それも決まってお昼前にやってくる。
『塩を分けてはもらえないだろうか』
今年もやってきた。
私はそれを見越して、塩をすぐ出せる場所に用意しておいた。
けれど、彼に塩をあげられるのも今年が最後だろう。なぜなら私は、今日この家を出て行くからだ。
一軒家で間取りが良く、住み心地も良い。だが母が亡くなり父1人では心もとないため、実家へ帰る事にしたのだ。
無言で塩を差し出す私に、なめくじ男はいつもと違う言葉を投げてきた。
『一緒に連れて行ってはくれないだろうか。』
さすがにこの言葉には戸惑いを隠せなかった。見ず知らずの、塩だけの関係の男を実家に連れて行く訳にはいかない。誰が聞いてもそう答えるだろう。ましてや雨の日に傘もささず、雨水を循環させているなめくじ男なら尚更だ。
それより、なめくじ男は一体どうやって私が引っ越すことを知り得たのだろうか。確かに今日は雨だし連日の雨でジメジメもしている。だが、今は梅雨ではないのだ。
『この家は元々私の家だった。』
なるほど、だから毎年間違わずにやってくるのだ。この辺一体は区画整理が上手くいっておらず、各家に辿り着くまでの道が迷路のように入り組んでいる。
『ちょっとばかり離れた隙にあなたが入り込んだ。』
入り込んだ?
『元々ナメクジだったのはあなたの方だ。』
『でも、私は怒っていない。家をほったらかした自分が悪いのだ。ただ、引っ越すのであれば、この家を返してほしい。返してもらえるのであれば、この土地を離れても良いと思っている。その家には思い出がたくさん詰まっているのだ。』
そうだった。
ナメクジは私の方だったのだ。