「…分かるの。」
私は夢と現実の間を彷徨う事になった。遠くから誰かが話しかけてくる。誰だろう。ぼんやり目を開けると、彼女は枕元にいて静かに囁いていた。
「今あなたに足りないもの、本当に必要な物が分かるのよ。だから眠りなさい。」
話は分かった。とにかく私は眠ればいいのだ。けれども私は元々寝ていたし、その言葉の真意はよくわからなかった。そもそも寝ていたのを起こしたのは彼女なのだ。頭がぼーっとする。眠りに入る瞬間の幸せなそれに似ていて気持ちがよかった。
「さぁ、こちらへいらっしゃい。」
私は訳も分からず、声の主の方へ向かった。彼女はデザイナーやスタイリスト、とにかくファッション関係の人のようだ。それと分かるようなオーラをかもしだしていた。よくわからない色のワンピースを着ているし、首にはふんわりとしたスカーフがまかれている。
「自己紹介はいらないわね。恐らくあなたが私を呼ぶことはないし、ここを出たら会うこともないから。」そう言った。
仕方がないので勝手にメリーと呼ばせてもらう。メリーは私を見るなりその辺にかかっていたカラフルな模様のワンピースを持ってきた。それも何着も。そしてとっかえひっかえ私に着せては脱がせ、脱がせては着せていった。おかげで私は何も考えず、ただぼーっとしていればよかった。何着もそうやって合わせたのち、メリーはやっと手を止めた。
「あなたにはこれがピッタリね。いいわ、これを着て行きなさい。」
そう言って着せられた服はまるでチューリップだった。怪我をした猫がこんな感じの装具を着けているを見た事があるな、と思った。まだ頭がぼーっとする。
「こちらへおいでなさい。」
また誰かに呼ばれた様な気がした。振り向くとそこにはメリーではなく男が立っていた。でも男はメリーそっくりだった。眉は綺麗に整い右目の下には小豆みたいな黒子があった。私は言われるがまま男の方へと向かう。
「自己紹介の必要はないだろう。私たちはもう会うことはないのだから。」
仕方なくザックと呼ぶことにした。ザックは色んなフライパンを並べ、私とフライパンを交互に見ながら話しかけてきた。
「君には今フライパンが必要だ。しかもとびきり丈夫なやつが。」
確かにフライパンが必要だなと思った。今使っているフライパンはコーティングが剥がれ、すぐこびりついてしまうのだ。
「このフライパンはどうだろう。」
そう言ってザックは右から三番目のフライパンを私に持たせた。私には他のフライパンとそのフライパンとの違いがほとんど分からなかった。色が違う以外は同じに見えたのだ。私は白がいいなと思った。今までもずっと白のフライパンを使ってきたからだ。ところがザックは真逆の黒いフライパンを持ってきた。これだけは唯一違いが分かった。恐らく鉄で出来ているのだ。昨日鉄鍋を使ったばかりだったから私にもすぐわかった。
「うーむ。やはりこちらが貴方にはあっている。このフライパンを持って行きなさい。」
そう言って他のフライパンを持ってどこかへ行ってしまった。相変わらず頭はぼーっとしていて今にも眠ってしまいそうだった。
「そこの君、こっちへ来たまへ。」
後ろから声をかけられ振り向くとそこには奇妙な女がいた。男なのに何故か女なのだ。見た目も仕草も喋り方までどれをとっても男のそれなのに、頭は女だと命令してくるのだ。恐らく妙に整った眉と小豆黒子のせいだろうと思った。今回も自己紹介はないだろう。さて何と名前をつけようか。ところが女は自己紹介をすると言い話し始めた。
「私の名前はメープルだ。よろしく。」
私は今にも消えそうな声で「よろしく。」と答えた。声を捻り出すのに精一杯で自分の名前など言えるはずがなかった。それでもメープルは笑顔のまま続けた。
「君にピッタリのお菓子を作るためにこうしてここに存在しているのだ。君は今までに二人の人に会ったはずだが、それは君に必要なものの一部なのだ。そして私は君に必要な最後のプレゼントをするためにやってきた。」
よく分からなかった。でもお菓子をくれるであろう事はよく分かった。私はちょうどお菓子が食べたかったのだ。それもとびきり甘くてフカフカのお菓子が。メープルは少しまっててと言い白い壁に隠れていた白いドアを開け隣の部屋へ入っていった。けれどそんな事はどうでもよかった。メープル、実に良い名前だ。甘くてフカフカなケーキを思い浮かべた。メイプル味のドーナツも思い浮かべた。メイプル味のチュロスも思い浮かべた。とにかくメイプル味で連想できそうなお菓子を片っ端からあげてみたのだ。けれども、うん。ドーナツが一番しっくりくるな。それが私の食べたいお菓子だった。どれくらい時間が経っただろうか、メープルは先程とは真逆にある黒い壁の中の黒いドアからでてきた。
「おまたせ。これでどうかしら。」
メープルの雰囲気が若干違う様な気がしたが、それはどうでもよかった。何しろ目の前に現れたのはドーナツだったのだ。私はお礼を言うと一口食べた。あまくてフカフカしていて、少しだけほろ苦い。たぶん。そう思いながら私の意識は遠のいていった。
「よく思い出して。本当に大切なものは表にはないの。そしてそれが見つかるまではあなたは目覚められないわ。永遠に。」