そば文化の種をまこう。 高野哲也


 「そばは好きですか」と聞かれる。わたしは「今は大好きです」と答える。「今は」と断るのは、もちろん「かつてはそれほどでもなかったが」という意味を込めている。以前埼玉に住んでいたときは、ひきたて・打ちたてというそばは食べたことがなかった。あったのかもしれないが「うまい!」という経験はあまりなく、むしろラーメン党であった。

 「そば党」に変節したのは道の駅の仕事に携わり、食堂の主メニューが「手打ちそば」と決まってからである。そばについて学び始めて、いろいろな店、道の駅を食べ歩き、磐梯町の師匠についてそば打ちの練習(ほんの入り口だが)をしているうち、そば畑の状態、そば粉の質、ひき方、打ち方、ゆで方でこんなにも味が異なることを知り、また福島のそばの水準の高さに驚かされた。本当に目からウロコである。ねり鉢にそば粉を入れ、第一加水をしたときなど、立ち上るそばの香りにしばし陶然とし、恍惚感すら覚えるようになった。

 「そばの自慢はお里が知れる」といわれたように、高冷地・中山間地帯中心に、米の代用作物あるいは救荒作物として栽培されていたのは過去の話。今では「そばを作ると村が栄える」ともいわれると聞いている。山都、磐梯、下郷、猪苗代など本県のいわゆるそばどころろいわれている地域では、秋のイベントとして新そば祭りが盛んに行われているが、自治体ごとの単独開催である。しかも中心は会津である(「会津のかおり」という福島県独自の品種さえある)。

 わが平田村の属する阿武隈山系一帯は、どちらかといえばうどん文化の地域であると聞いており、たしかにうまい地粉うどんは存在する。しかし、標高三百メートルから五百メートルの準高地で、そば栽培敵地が多い条件は会津に決してひけを取らず、事実阿武隈山系各地に、いわば「あぶくま高原そば」ともいえる新興そば勢力が興りつつある。その新興勢力がそばによるまちおこしを図ろうと、複数の市町村にまたがる新そば祭りを企てた。おそらく本県では初めての試みではないか。いわき市三和町、川内村、田村市常葉町、小野町、平田村の腕自慢たちが、十一月十五日に道の駅ひらたに集うて日ごろ鍛えた腕を振るう。多くの人々にあぶくま高原そばを味わってもらい、いずれは会津に肩を並べられるブランドに育て、地域振興につなげようという野心的企画である。特筆すべきは、この企画が行政主導や補助事業がらみではなく、純粋に民間有志から内発的にわき起こった、文字通りの手作り事業ということである。実行委員の肩書は、石材屋さんだったり印刷屋さんだったり、いわゆる本職の人はほとんどいない。そばのことは熱く語るが、イベントの企画・運営に関しては素人で、志は壮としながらも、果たして本当に成功するかどうか、やってみなければ分からない。

 とにかくやってみよう。種をまかなければ芽は出ない。「私には夢がある」と語ったM・L・キングはこうも言っている。「失敗するのがいやなら何もしなければよい」(平田村永田、道の駅ひらた駅長)

1地域医療の再編 小児科24時間で。

 

 私のかかりつけ医療機関は地域医療の中核病院だが、この地域医療という問題を考えると、医療資源は確実に不足している。だからエコと一緒で、今ある資源を有効活用しようという観点から医療の集約化が必要だと思う。小児科なら二人の医師がいる病院が五病院あるよりも、一つに十人集めて毎日当直医を置き、二十四時間体制にした方がいいだろう。しかし、それのは公立とか私立とかの垣根の問題もある。

 また、医師不足についてだが、医師の数はむしろ増えていると思う。しかし、現代で問題となっている夜間の時間外救急、不採算部門といわれる勤務医をしていて当直をする医師や小児科・産婦人科の医師は減っているといえる。

 医療訴訟のリスクもあり、これを解決するのは容易ではないが、一つは給料をよくすることだろう。いずれにしても鳩山新内閣には医療問題に前向きに取り組んでほしいものである。


2投稿で知った小説の読み方。


 先日の「みんなのひろば」に、福島民報の連載小説「三人目の二代目」とうまく付き合う方法の投稿があり、読んで「ああ、これがいい」と思わず独り言がでました。

 私も読書好きですが、硬い文章や難文字の続出に、かなり参っていたところでした。だんだんと飛ばし読みになり、続けていく意欲もない惨めな読書家になっていたのです。でも、読んでいてよかったと言える日もあろうかとの思いで続けていましたが、続きませんでした。

 こんなときに付き合い方を知ったので、天の助けと喜びました。幸いにも初回からの新聞があったので、全部切り取り、とじて読める日を待つことにしました。 

 テレビで大河ドラマの「天地人」を見ているので相通ずる場面もあるのかなと期待しています。


3混雑の「当直医」 整形外科増加を。


 先日の日曜日に家の庭のホースにつまずき、転んでけがをしたので休日当番医を探し、整形外科に行きました。午前十時ごろだったと思いますが、院内はいっぱいで座る所もないくらいいっぱいでした。周りを見ると、かなりひどそうな人たちばかりで、私は四時間くらい待ち、やっと診察していただきました。

 医師も看護師さんも私たちも昼食を取らず、じっと待つしかありませんでした。午後二時すぎにやっと終わりましたが、ただ待っていてくれる付き添いの主人も大変だったと、申し訳なく思いました。

 この日の休日当番医で整形外科は一ヶ所だけでしたが、当番医は一ヶ所だけではなく、せめて二ヶ所ぐらいにしてもらいたいと痛切に感じました。今後のことも考え何か良い方法を検討してほしいものです。


4大切にしたい自分だけの時間。

 

 朝、仕事をする前の誰も起きていない時間に温かいコーヒーを飲みながら庭を眺め、音楽を聴きながら本を読むのが最も至福な時間である。これが朝寝坊すると、朝からタイミングが合わず、まるでシャツのボタンを一つ掛け違えたような一日がずっとズレてくる。そうなると次から次へと波のように仕事が押し寄せてくるから大変だ。

 深いため息をつきながらも、一日の農作業が終わる。でも夜は夜で、二時間ほど自分の好きなパッチワークをし、チクチクと針を動かしているその瞬間がまた小さな幸せである。縫い物をやり過ぎると、赤鬼がとうがらしを食べ、あまりの辛さに鼻の穴にカボチャの種を突っ込んだ顔になってしまうから大変なのだが、一日三時間の時間を取ると、一ヶ月で四日になり、一年では四十五日分も時間を取ることができる。

 時間は明日へ向かってみな平等に流れてゆくから、今この年になって、今までやりたかったことをいとおしむようにやっていきたい。また、ある意味では仕事とのリセットでもある。時間が小さな幸せを積んでいくようで楽しい。


5CO2の削減問題 中・印にも責任。


 二酸化炭素排出問題で中国やインドは、CO2増加は先進国の責任であり発展途上国には責任がないと言っているが、何も産業施設や車だけが排出d¥しているわけではない。人間も出しているのだ。

 中国は人口が十三億人、インドは十一億人で合計で世界人口の四割を占め、その人たちの排出するCO2の総量は相当なものと思われる。

 また、これらの国が先進諸国が長年、試行錯誤の苦心の末に作り出した科学技術や知識を利用して工業や生活の向上発展を目指すなら、過去の先進諸国のCo2排出の恩恵も十分受けていることになる。

 今やヒマラヤ山系の氷河の縮小から黄河、揚子江、ガンジスなどの大河の水量が枯渇することも予想されるだけに、中国、インド両国はむしろ進んでCo2制限に参加するべきである。


6外国人の参政権 日本国籍取得を。


 先日の「みんなのひろば」に民主党政権が明らかにしている「定住外国人への参政権」の問題が載っていた。以前にも「永住外国人に参政権を付与してもらいたい」との記事があった。

 しかし、憲法第十五条に「公務員を選定し罷免することができるは国民固有の権利である」とある。現在わが国に在住している外国人は七十、八十万人といわれ、行政その他で協力してもらっている。

 私は参政権を得たい人は日本の国籍を取得すればよいと思う。そうすれば参政権も付与されるのである。


7プルタブ集めて「小さな奉仕」


 ある病院のリハビリの先生方と親しくさせていただいてます。三年ほど前、ある先生が「ペットボトルのキャップを集めると、外国の恵まれない子どもたちへのワクチン接種に役立つらしい」と話していました。病院に時折来る業者の方にその話を聞いたそうです。

 私はこれまでにもプルタブを十年以上集めていましたので、ポトルキャップも集め始めました。ある程度たまるとリハビリの先生に預かっていただき、業者の方がそれを持って行ってくれます。病院に入っている清掃の方もそれに気付いて、忙しい中、たくさん集めて持って来てくれます。

 何の声賭けもしないのに、進んで参加してくださる姿に頭が下がります。プルタブとボトルキャップを集め、小さな奉仕をしていきたいと思います。


青木山を考える。 滝沢洋之


青木山は「登山口近くまでは自転車でも歩いても行ける。老いも若きも体力に合わせて四季折々の山登りを楽しめるうえ、これほど身近な里山はほかにない」(会津百名山ガイダンス)。

 青木山は地元の小・中学校の校歌にも歌い込まれている山なのだが、まだ一般的には十分に知られていない。

 かつて里山は薪炭、刈り敷き、牛馬の飼料、カヤなどの供給地であった。山がなければ農家の生活は成り立たなかった。南青木のわんぱくな子どもたちは天狗岩辺りでターザン遊びに興じていたし、北御山の子どもたちはガキ大将に連れられて、峰にある妙見様辺りまで登ってアケビ、野イチゴ、山ブドウなどを取っていた。戦前の会津中学校では毎年、春先の堅雪を利用して青木山で兎狩りを行っていたし。戦後の会津若松市内の多くの学校は、遠足で毎年青木山へ登っていた。それらの思い出は五十年以上も前のことなのだが、今でも強くよみおがえってくるという。  

 青木山から子どもたちの遊び声や大人の労働の声が聞かれなくなって久しい。しかし当時の人々の歩いた道筋はあちこちに残されており、クモの巣のように縦横無尽に張り巡らされている。仕事の合間にのどw潤し、団らんを楽しんだ清水も昔のまま湧き出ている。それは地元の人たちには楽しい思い出でもあり、一方では血と汗のにじみ込んだ苦い思い出でもあった。

 わたしと山との出会いは、小学四年の時に始まる。故郷は金山町横田であるが、担任の小林健先生に連れられて古里の象徴的な山である田代山に登ったことが今でも忘れられない。  

 わたしはこれまで、富士山や世界遺産に指定されている屋久島の宮之浦岳、白神山地に登った。アンデスのマチュピチュ、ボルネオのキナバル山、中国のチベットなどのトレッキングコースを散策し、それなりに感動もしたが、それと同じように青木山に最初に登った時の感動は忘れられない。

  以前、わたしの知る地元の校長が(彼も生徒の時、青木山の思い出を持つ一人なのだが)、「生徒を青木山に連れて行きたいが、そのような行事を組めない」と嘆いていた。在学中に一度は青木山に登ってその頂上から美しい故郷・会津を見てほしいと思う。その体験は授業では味わえない貴重な体験なのだから。

 財政難の折、お金を使わないで、会津の豊かな自然を活用した有意義な活動ができないかと始めたのが、「青木山を守る会」の活動である。運動がこの度「2009みどりの大賞」特別賞に輝いた。その意義は大きい。県内外の権威ある有識者からわたしたちの活動が「里山の美しさ、豊かさをつくり、維持していくことは重要で、現地調査などを通して高く評価された」ことを素直に喜びたい。

 「知ることは守ることである」「明日のエコでは間に合わない」を合言葉に、地域の人々の理解と協力を得ながら今後も活動を続けていきたい。みなさんと共に自然に親しみ、健康増進を図りながら、里山の大切さを学びたいと思う。(会津若松市門田町、会津大短期大学部非常勤講師)