1スタンドを修理 苦労も大満足


家内から「電気スタンドが壊れたから直して」と渡された。半年ほど過ぎ、直してみようと思い立った。よく見ると屈曲するアームの関節部のところせコードが切れ、管の中にある。「ここだな」と思い、コードを引っ張り出そうとすると、各関節部にビニール製のストッパーがあり、それが邪魔している。

 まずそのストッパーを取り出し、コードを引き出した。管の外の配線の切れた所を露出させ、十分に余裕を持たせてから、切れた線を電気こたつのスイッチを利用してつなぎ合わせた。簡単な作業だったが私は生来の不器用で、ドライバー、カッターなどを利用してだいぶ苦労して直した。

 修理したスタンドは少し不恰好になったが‘バイパス手術‘が成功して大満足である。何よりも、失ったものを得、死んだものをよみがえらせた喜びは多きいものであった。


2「政策評価」歓迎 考え方を転換して


 鳩山内閣は各県庁が新事業を立ち上げた場合、数年後に事業目的の達成度合いを点検する、新たな「政策評価」制度を導入する方向で検討に入ったが、ぜひともスタートさせてほしいと願っている。

 各県庁の予算要求に対しての無駄遣いの根絶が目的であり、年末度に集中する無理、無駄な予算使い切りから改めていかなけらばならない。

 予算の使い道に関しては会計検査院が毎年発表しているが、残念ながら事後報告だけで、責任所在不明と処分に対しては全く機能していない。

 管直人副総理の構想によれば、発案者の責任はもちろん、それらの官僚のペーパーを認めた政治家(大臣)の責任まで問われる可能性もあるという。実現すれば画期的な政策になることになり、これこそ政権交代の意義の一つといえる。


3心に残るはやし祭りいつまでも


先日、二本松市のちょうちん祭りが行われました。全国的に有名な勇士なこの祭りが、かつて三日三晩行われていたころ、家族で二本松市内までわくわくしながら歩いて行ったものです。娯楽の少ない時代でしたので、子どもたちにとっても待ち遠しい楽しみの一つでした。ちょうちん祭りを思い起こしても、時代の流れを感じさせられるばかりです。

 秋の夜空に連なって揺れる幽玄な淡いちょうちんの輝き、心にしみわたる笛や太鼓のはやしは心に響きます。また、山車を引き回す若者たちの威勢のいい掛け声など、祭りの気分を心から楽しめ、平和な秋祭りはいつまでも続いてほしいものです。


4五輪招致で落選 真摯な反省必要


 二〇十六年の夏季五輪開催都市はブラジルのリオデジャネイロに決定し、東京は落選した。石原都知事が四年前、唐突に立候補を表明し「成熟した都市の姿を示す」「平和への貢献」などと、百五十億円ともいわれる経費で無駄遣いのキャンペーンを繰り返した。しかし多数の都民の支持を得られず、あまりにも独善的な石原知事の開発五輪がIOC委員からも拒絶された結果ではなかったかと思う。 

 招致運動の上滑りは、都民の多くが政治的、経済的利用を追うバブル的五輪開催と、開催時に予想される治安対策のための交通、日常生活に対する規制強化などを嫌悪したからではなかったか。多額のお金をかけ招致活動をしたのになぜ落選したのか、東京都は真摯に反省する必要があると思う。

 五輪招致は本来、スポーツの権利譲渡の延長上にあるべきで、イベントとたらえてそこだけに力を入れ、ほかは施設も予算も乏しい東京都のスポーツ行政を世界の良識は認めなかったと思う。


5五輪招致失敗もリオは同胞の地


  二〇十六年の夏季五輪の開催都市に立候補していた東京でしたが、ブラジルのリオデジャネイロに決まり、ショックでした。

 東京は石原都知事を先頭に五輪の舞台で活躍した選手や女子体操の十五歳の少女らを招致プレゼンテーションに登場させ、また、鳩山首相も掛け付け国を挙げて東京の良さを訴えました。米国のオバマ大統領夫妻が猛運動に当たったシカゴも落選となりました。

 栄えある当選を果たしたリオデジャネイロは南米大陸で初めての開催で、最近目覚しい発展を続けています。ブラジルはわが国から多くの移民を受け入れ、県人はじめ多くの日本人がいます。

 今では日系二世、三世の時代となりましたが、わが国とは親しい国です。この同胞が多く暮らす地で各競技に健闘してほしいものです。

わたしの夢、希望。 中鉢博之 


 子どもや若者に夢と希望を持って生きていってもらいたいと願っています。しかし、そうはいっても本当に子どもや若者が夢を持てるような今の社会なのだろうかと思うことがたくさんあります。景気変動での波で多少回復はあったものの、再びの就職難の時代。これから社会に出て、伸びやかに若い力を発揮するはずの若者たちが、競争に疲弊し、自分を萎縮させ、働くことや自立していくことのチャレンジする機会さえも持てないことに悲しい気持ちになります。

 しかし、悲観ばかりはしていられません。どんな厳しい時代であっても、子どもたちや若者たちは根源的に大きな力と可能性を持っているし、それをさらに伸ばしていくこともできるのです。むしろ、子どもや若者の力を生かすことができない、受け止めることができないというのは社会の課題なのだと思っています。「ビーンズふくしま」の名前の由来でもある童話「ジャックと豆の木」の、豆の大木のように、子どもや若者の持つ可能性の芽をたくましく育てていきたい。それには、やはり周りの環境や豊かな土壌が必要になるのです。それは一人の力で成し得るものではありません。土の中にたくさんの栄養素が含まれているように、さまざまな人々の持つ力や経験、知恵が程よいバランスで吸収され、子どもや若者たちの成長に寄与することが大事になるのです。まさに「地域社会」の持っていた人と人とのかかわりの力と育てる力を見直し、それを引き出していくための仕組みが大事だと感じています。

 学校に行っている子、今は行けない状態の子、障害のある子も、地域での多様なかかwりと経験の中で、人として大事な力をはぐくんでもらいたい。そしてそれが自分の人生を切り開き、たくましく生きていく力となります。その学びや成長を評価し、認め、さらに地域の中で必要な役割を担ったり、地域の中での仕事・労働と結び付けていくことができれば、つながりを持たず社会に浮遊している「ニート」問題の半分は解決するのでないかとも思っています。

 子どもや若者が地域とかかわり、その中での役割を担ったりできるような仕組みとして、仕事づくりができないかということを考えています。地域の環境整備や担い手不足の農家の農繁期のお手伝いをしたり、高齢者のお宅の草むしりを代行してやったり。生きがい、やりがいや認めてもらう経験を必要としている若者はたくさんいます。もちろん生活していけるだけの収入にはならないでしょうが、仕事のきっかけや社会の中で自分の力を役立てるきっかけすらない若者にとって、学んだりかかわったりする場、それを認めてもらい、評価される場ができたらとても貴重な場になるのではないかと思っています。子ども、若者が生き生きとするための仕組みを地域につくる。そんなわたしの夢はもちろん一人でできるものではありません。皆さんのお力も借りながら少しでも実現に近づけるようにこれからも一歩一歩進んでいきたいと思います。(福島市矢剣町、ビーンズふくしま事務局長)

1静かな自動車 子どもにも危険


 最近、ハイブリッドカーをよく見掛けるようになりました。先日、テレビで「ハイブリッドカーの音の静かさが目の不自由な方には危険だ」と問題化したニュースを取り上げていました。環境に優しく低燃費でとても良い車だと思いますが、私もハイブリッドカーの静かさはとても危険だと思います。  

 今では子どもと駐車場を歩いていても、エンジンをかける音や近づいて来るエンジンの音などで「ほら車が来るよ。気をつけてね」と声を掛けていました。しかし、ハイブリッドカーは「車が近づいてくる音」が全くしないのです。気がつくと背後に車が来ていて健常者の私でも驚かされるほどです。

 運転をしていて静かなのはとても快適だと思います。しかし、歩行者には静かに迫る‘凶器‘になってしまう危険もあります。ましてや目の不自由な方や何事にも夢中になってしまう子どもには、音も無く、車体も見えません。すべての方に優しい車の開発と少しでも事故が減ることを願っています。


2マナーは家庭で 負担大きい学校


 九月二十九日掲載の「みんなのひろば」に「学校で学ぶべきことは、マナーや笑顔、相手の悪口を言わないこと」とありましたが、私は違うのではないかと思います。

 なぜなら道徳的な事柄は学校の教育だけでは限界があると思うからです。むしろ、家庭や地域で教えていくべきものではないkと考えます。

 今、学校は多くのことを期待され、求められ、それらを取り入れていくことで、その責任を負わされ、つぶれそうな印象を、持っています。批判ばかりが目立ち、それは責任転嫁ではないでしょうか。

 学校は「古典や歴史を学ぶべき場所」でいいと思います。その集団生活の中で「人との間で生きていくために」ということを一人一人が学んでいけばいいのではないかと思います。「学校で教えてくれないから分からない、できない」では、いけないと思います。