ベリ桃もボノ桃も桃のうち-ベニスに死す1
「美は自然に発生するもので芸術家の自負以前に存在する」と説く友人に対して老作曲家アッシェンバッハは「美と純粋さの創造は精神的な行為であり芸術家の努力によって創られる」と反論する。
そして芸術は教育の最高要素であり芸術家は道徳的手本でなくてはならないとの信念に囚われるがあまり、実社会の汚れから目をそむけ人間嫌いの逃避者となってしまったアッシェンバッハは、静養に訪れたベニスで天性の美貌を神より与えられた少年タージオと出会う。
徐々にタージオの美しさの虜となってしまうアッシェンバッハは恥辱感に苛まれ一時はベニスを離れるが再びベニスに舞い戻り伝染病が蔓延する街中をタージオを追い求めて彷徨う。
そして美の幻想に恍惚としながら、観光客が避難した後の寂寞とした海辺にて孤独な死を迎える。

ルキノ・ヴィスコンティ監督、1971年制作の「ベニスに死す」。

この映画は、どのシーンを切り取っても絵になるほどに美しい。
セットや小物や衣装、そして役者の配置がカメラを通して完璧なまでの構図となっている。まさに動く絵画。
そしてバックに流れるマーラー作曲、交響曲5番4楽章の美しいメロディーが見る者をより一層に心酔させてくれる。
演技、美術、音楽の総合芸術としての完成度が高く、これこそが映画といっても過言ではない作品。

なお、決して同性愛をテーマとした映画ではない。
美とは俗世界から隔絶されたものではなく人の感性の中にあり、美しいものも醜いものも混在してこの世界にある。
それらすべてを受け入れない限りは真の美を理解できない。
老いた作曲家が我を忘れてタージオを追い求める姿は、己をより醜くしてしまい救いがたく美の幻影に取り憑かれた亡霊の如し。
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ハロなど女性アイドルたちの、特にオッサンヲタの中には、そういった面が少なからずあるのかもしれない。
疑似恋愛や性的関心の対象としてではなく、彼女たちの若さや華やかさを羨み惹かれ、己の現状を忘れて自分もそこで一緒に楽しく踊っているかのような幻想を追い求めて彷徨っているのかもしれない。
なのでオッサンヲタは虚しくみえてしまい、まさにその未来は“ハロプロに死す”なのだろうか・・・・・。