ベリメンがラジオで「写真を撮るときのポーズはピースサインが多い」と本人たちも自覚している話しをしていた。
「だから最近はピースサインをしないようにしている」と菅谷は言い、「じゃ、どうしてるの?」と嗣永が尋ねると「グーみたいな…」と答えていた。
グー?? 最近の菅谷の写真はガッツポーズしてるのか?!
さすが「うっひ~」なる奇語を生み出してベリ界隈を驚嘆させたエキセントリック菅谷なだけはある。
・・・と思ってたら←このグーのことだった。
ハロメンに限ったことではないが、誰かのイメージを表現するとき「天然」という言葉を乱用しすぎだと思う。
大概そういうときの天然とは、悪く言うと「間抜け」である。
害はなくて親しみを感じる愛嬌の範囲内という意味合いなのだろうが、言い換えれば「天然」とは「親しみのある間抜け」だ。
俺は嗣永ヲタではあるが普通のヲタブログとは異質なものになっており、またライトの部類なので「ベリ桃もボノ桃も桃のうち」というブログタイトルを変えようかと思っている。
そこで映画のタイトルをもじろうと考えていたら突然「時計仕掛けのサザエさん」が頭に浮かんだ。
「時計仕掛けのオレンジ」をもじっていて面白いのだが「何故にサザエさん?」と思い却下したけど、暫くサザエさんが頭から離れなかった。
「アラビアのサザエさん」「風の谷のサザエさん」「サザエさんの異常な愛情」「サザエさんがいっぱい」。
なんとも八面六臂なサザエさん! それほどにサザエさんの存在感は大きい。
日本人ならサザエさんを知らない者はいないだろう。
子供の頃から親しんでいた天然キャラ炸裂のサザエさんは多くの人の心に定着している。
なので天然を「よし」としてしまう世情があるのだろうか?と思っていたりする。
一時期のモー娘は国民的アイドルと呼ばれていたが、サザエさんの国民への浸透性には比べるに値しない。
年齢は違い子持ちの人妻だが、ある意味サザエさんこそ老若男女を問わない日本を代表する国民的アイドルなのかもしれない。