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先月、札幌へ、
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初めて、宝塚を見に行きました。(春頃、チケットを頼んでいた)
宙組さんで、演目は、大好きな「ベルサイユのバラ」でしたが、脚本が大分変わっていたのは少し残念に感じました。
が、百周年を迎えても、熱烈なファンの方々が、大挙して集まっている熱気や(女子トイレも売店も、大行列だった)、想像とは全然違い、舞台のチェンジのたびに、幕の裏から、ドタバタとセットを急いで運んだり置いたりしている音がよく聞こえたり、オスカルやフェルゼンが歌う歌が、少し演歌調な雰囲気で親しみやすかったり、洗練されていくことも素敵だけれど、洗練され過ぎないように、泥臭さも、きちんと残しているから、長くこんなに人気があるのかなあと思いました。(また、見に行きたいです)
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札幌に行くと、向かうのは同じになってしまい、北大の、変わらず立派な木さんたちに挨拶を
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して、
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今回は初めての場所も、ブラブラして、
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若いポプリさんたちだけ、淡く紅葉中だったり、珍しい景色も見られました。
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農学部の、牛母さんたちや、
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羊さんたちも、見えました。
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学会などの季節らしく、その日の宿が、札幌では見つからず、
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小樽に泊まりました。
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朝の散歩で、運河や港に
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行きました。札幌は、私には都会過ぎて、小樽はとても、のんびりしてよかったです。が、
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観光地のお店に寄ると、賑やかな中国人の観光客だらけで、びっくりしました。(千歳や中標津の空港の、消毒マットとか、もっと力を入れて欲しかった)
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帰ってくると、
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初産の、あんず先生が、
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可愛いオスくんを、無事に産んでいました。(少し前、都会で、赤身の牛肉が人気で、ジャージーさんのオスくんも、生まれてすぐに処分場に行くのが減りそうだと話す農家さんのニュースを見ましたが、その後、市場の値段は下がったりもあり、前とあまり変わらないみたいです。。)
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あんず先生の娘さんの、マカデミアちゃん(通称 マカちゃん)も、元気にしてくれていましたが、
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ゴマ兄さんは、また出張していました。
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帰ってきてからも、
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日中、
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牛舎へ行ったり、
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して、
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気持ちの準備中でしたが、
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あんず先生の息子さんの隣のハッチの、ブラウンスイスの兄貴の
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11歳になるブラウンスイス母さんが、分娩後、自力で立てなくなって、庭に、飲まず食わずで横倒しになっていたので、びっくりして、慌てて親方に、もうかわいそうだから、安楽死(夏に来てくださったキヨミさんのお話で、本当の安楽死は、麻酔をしてから注射をするのだと知りました。家では、麻酔は使っていないので、厳密には安楽死には入らないのでしょうが。。)させてあげてよ、と走って家に帰り頼みましたが、結局親方は、ややうるさそうな表情で、草刈りが終わってから夕方、カウリフトで吊ったりして外に出すだけで、母さんはその後、炎天下や雨降りの中、2日間、同じ姿勢のまま置かれ、苦痛に耐え、やっと3日目に注射をしてもらい、旅立って行きました。。(まぶたは、起き上がろうとして、重たい体の反動で、顔を床に強打して腫れ上がっていました。こんなことも、これまで何度もあり、夏に旅立った母さんは、腫れ上がったまぶたを、カラスにつつかれ、お肉が見えていました。。)
何故、死を待つ母さんに、注射1本してあげるだけなのに、そんなに苦しみを与えないといけないのか、また叫んで訴えました。(このような出来事は、何度も何度も経験してきて、何故、ただ、母さんたちの痛みや苦しみを早く取り除いてあげたいだけなのに、こんなに必ず拒否され嫌がられるのか1ミリも理解出来ず、ここは親方の牧場だから、仕方ないと、見て見ぬふりをするしかない時もありました。。静脈注射は、きちんと出来ないと、余計な苦しみを与えてしまうから、私には出来ないので)
"何十時間も、一切脚を動かせないで、ただ正座をし続けながら、死を待つだけなんて、あんたは耐えられるのか!"と何度も言いました。
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二人で、荒れた気持ちになりましたが、でも、今度、仕事に戻ったら、いろいろあっても、毎日前向きに牛舎に行きたいので、気持ちを切り替えました。
あんず先生は、1群で、搾乳母さんとして、元気そうにして、嬉しかったです。
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ハッチハウスから、育成舎への、姉さんたちの移動を、少し手伝いました。
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ハッチから、共同生活への移動姉さんの中には、離乳が完了していない姉さんもおり(離乳と、環境の変化を同時にさせるのは、ものすごくストレスだから、絶対ダメなんだけど、親方が哺乳していたから、このことは、ちょっとつぶやくだけにしました。。)、ますます、仕事に戻りたいなあとも思いました。
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新しい段ボールを持って、ハッチハウスへ行こうとしたら、ちょうど、ポンちゃんに会いました。
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また、新しいミキサー車が来ていたので聞いたら、ずっと故障中のミキサー車を修理するのと、買うのと変わらないので、買ったそうでした。。
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この間、ホワイト同期の、さんまちゃんが、初産を控えて共同牧場から帰ってきていて、改めて、月日の流れる速さに、しみじみしました。
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私が、お休みをもらって、一番目に見えてよかったことは、親方とポンちゃんが、仲良しになったことでした。新しく作った段ボールハウスが、とんがり屋根になったので、親方が、木っ端で十字架を作って、段ボールハウスに飾ってあげていました。。(様々な荒波を乗り越えてきたポンちゃんは、牧師のようで、なるべく長く元気でいて欲しい願いを込めて、だそうです)
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翌日は、半年ぶりくらいに、哺乳を手伝い、哺乳瓶って、こんな感じだっけ?と、久しぶりな感覚でした。
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親方のお姉さんのお義父さんが亡くなり、高野お父さんお母さんの葬儀の時は、親方のお姉さん夫妻に、親戚のおじさんおばさんたちの接待や、空港やホテルへの送り迎えなど、大変にお世話になったので、親方も、せめてお通夜でも行けたらと、ベテランのスタッフさんたちに搾乳をお願いして、二人でお昼過ぎに哺乳とエサ入れを終わらせて、午後、帯広へ向けて出発してみました。が、最初から無理があり(お姉さんには、無理して来ないで、規模縮小したらお参りに来てねと、言ってもらっていたので。お姉さんにも、規模縮小をして、みんなでのんびり暮らしたいんですと、いつも話してきていました)
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暗くなる前に、早めに諦めて引き返しました。でも、せっかくなので、摩周湖の道の駅や雑貨屋さんで、結婚してから初めてな感じで、仕事の時間の夕方に、二人で買い物をしました。
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その後、中標津の温泉に寄り、夕ご飯を食べて、家に帰り、二人でホッとしました。
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親方は、ここぞとばかりに、楽しそうに買い物して、大きなカウベルも、求めていました。
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それで、親方と揉めたりした中で、一応、あと半年くらいで、搾乳母さんを150名体制にする→みんなが健康でのんびり暮らせる規模にする予定だと、やっと言ってくれました。本当に、実現するかは、信じ過ぎないようにしつつ、7年越しの希望への、曲がり角前
で来れたのかな。。
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ちょうど、1年間、本当に頑張ってもらったスタッフさんが、地元に戻ったので、親方から、いろいろなことは、あと半年と聞けたのを小さな支えにして、思い切って仕事に戻りました。
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まだ、分娩が少なめで、哺乳チームも本当に少なく、冬前に、準備しないと、とドキドキもしますが、前向きに頑張りたいです。













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