僕は毎日

『溜池通信』 http://tameike.net/index.htm

を拝読させていただき勉強している。この本は、このサイトを運営されている方の著書である。


1985年と言えば、著者の吉崎さんのように60年代に生まれた人にとっては思い入れの深い年だそうだが、僕にとっては生まれた年である。0歳の時のことなど当然覚えてはいないから、僕にとって1985年はアルバムの中だけに存在する、特に思い入れもない年である。しかしながら、やっぱり自分の生まれた年、その年について書いてある本に、僕は自然に興味を持った。どんな年だったんだろう。そう思いながら手に取ったのである。


読んでまず思ったことは、1985年というのは僕が思っている以上に昔だということだ。まだソ連があって、この年にゴルバチョフが出てきたのだが、この辺のことは既に歴史の教科書にも載っている。1年を20回繰り返せば当然20年である、こう言ってしまうと短く感じてしまうのだが、精神的・感情的な距離はもっと遠いような気がする。

初めて知ることも多かった。つくば博、ひょうきん族、金妻といった言葉は僕はこれまで知らなかったし、日本車がまだ高級車市場には進出できていなかったこと、「食」にこだわる空気が初めて出てきたこと、生活の実態などで、僕がいままで「1985年ってこういう時代だったんじゃないかな」と思っていたイメージが実態と乖離していたことが分かった。どうやら僕のイメージは1985年からは4,5年ほど後の時代に合致するものであるようだ。

本全体を通して、1985年はいろいろと大きな問題・事件もあったけれど良い時代だった、と肯定的に過去を懐かしんでいるように見受けられた。


今団塊の世代の人々は、生まれた年と当時の日本の状況、その人数の多さを元に特徴を分析されている。僕らも数十年後、プレバブル世代として評論家の俎板の上に乗ることがあるかもしれない。その時までこの本が残っていたら、きっといい資料になるだろう。



先輩たち、Mくんと行ってきた奉納射会。
作法が細かく分からない上に、いるのはおじいさんたちから若い人まで、それはもう熟練者らしき人ばかり。緊張の極まる一時だった。
結果は6射中……残念!弓を引く以外のところで消耗してしまっていた。ベストコンディションでも10射中1,良くて2中なのに、極度の緊張により精神状態が芳しくない状態。当たらないのである。
対同好会戦では1中以上はいきたい。今日は予想外な事態、ハプニングがいくつかあったけど、体当たりでなんとか問題なく終わることができた。試合の雰囲気もある程度分かった。次の試合ではさすがにこれほど緊張はしないだろう。この経験を生かして対同好会戦に臨みたい。

18日の対同好会戦に向けて、昨日(になってしまった。更新遅っ。)は初めて試合形式での作法を実践で教えてもらった。

まだ的前に入ってから日が浅く、矢が的から大きく外れることも多々あるので、今まで大前では引かないことにしていた。大前は的のすぐ右はもう安土からコンクリ壁になっており、矢がコンクリ壁に当たる恐れがあったためだ。

でも、試合の練習で的前に入ったとき、偶然なのだが、的前に立ってしまった。あーあ、と思いつつも立ってしまったものは仕方がないから、嫌な予感がしつつもコンクリ壁にだけは当てないように、と思って引くことにした。でも悪い予感ってのは往々にして現実になるもので、4射目の矢が大きく右にそれてコンクリへ・・・・・・。矢は先っちょが「く」の字型になってしまった。合掌。直してもらうため、弓具店に行かなければならない。しかし鉄のシャフト、円筒形で強度ありそうな形なのに、ホントに曲がるもんなんだなぁ。威力を目の当たりにして改めて取り扱いには注意せねばならないと思った。

さて、そんなこともあったけど、気を取り直して、今日は大宮八幡宮っていう神社で引くことになっている。昨日いきなり出場を決意したのだが、やっぱり急すぎたか。心構えは未だできていない。対同好会戦のための練習とでも思って気軽に引いてこよう。KozさんとKagさんは成績優秀者になり商品のデジカメを狙う模様。無論、僕も頑張るつもりだ。1中はしたいと思っている。



今日はクラスメイトたちと5人でカラオケに行った。

僕の大学では2年生になると、みんな大学に行かなくなる。みんなが授業そっちのけで、バイトやサークル、自分の勉強や、もしかすると何もせずに無為に過ごしたりするので、当然学校でクラスメイトに会うことも少なくなり、一人で過ごす時間が急に増えるのである。そのまま夏休みに突入して進学振り分けのためにクラスも解散、みんなに会おうとしなければ会えないという状況の中でのひさしぶりの集まりだった。5人って、まあ、集まりとも言えない規模だけれども。

特に、10日かけて中国は内モンゴルへと旅してきたZさんが、テニサーのお兄ちゃんみたいに黒くなってるわ、首から木彫りの牛(?)の髑髏下げてるわで、びっくり。道中、高熱を出したと言っていたが、何か毒を盛られたんじゃないだろうな・・・・・・。偏見とともに心配している。


その後、2人とおさらばして3人で渋谷のApple Storeに行って、新発売のi Pod nanoを体験。

写真でも小さいと思っていたが、手に取ってみると予想以上の小ささである。これを持ってしまうとi Podでさえでかくて仕方がなく感じてしまうことは間違いない。Zさんが、これ以上いるとnanoを衝動買いしてしまいそうだ!と吠えたので店を後にした。やはりアップル、店全体の雰囲気、製品のディスプレイの仕方は一級である。i PodやMacとは言え、ただの機械、よくできた電化製品である。それらを所有したい、と思わせるような雰囲気作りは見事だ。




アメリカのニューオーリンズが、カトリーナなるハリケーンによって水没してしまったことは周知のとおりだ。だが、ブラウン管に映る被災者を見ていて気づくことは、大部分が黒人やヒスパニックといった有色人種であり、白人は数が少ないということだ。

警報にしたがって逃げることのできる、車を持った富裕層はみんなカトリーナ直撃前に逃げてしまっていて、現地に残っていたのは、車を持たないために現地に残らざるをえない人、貧困層だったと言うのである。

日本にいる僕たちからすれば、「へえ。人種差別ってまだあるんだー。」程度の感想しか持たないと思う。日本には外国人の数はまだまだ少なく、僕を含め、多くの日本人は、日本人と外人のくくりしかなくて、日本人が数種類のグループに分けられるとは今のところ露ほども思っていない。

この日本人の意識は今後もずっと続くだろうか。詳しく言うならば、競争社会になったら一億総中流とは言ってられない状況になり勝ち組負け組に分かれるが、そんな中でも、日本人と外人という、日本人は一くくりにされる分け方が続くだろうか。

今の日本では、災害が起きたとき、一般人のうちでは、まず救助されるべきは老人と女、子供であるというのは常識だ。その人たちをそっちのけにして男が先に救助される光景に違和感を覚える人は多いと思う。そして、それ以外に優先順位らしきものはない。だが、これから先、日本が完全な競争社会になったときはどうだろう。富裕層の日本人が貧困層の日本人に優先して救助されるのだろうか。にわかには認めがたいことであるが、何も対策をせずに自然に任せるなら、こうなるのは仕方のないことだ。

僕は競争社会には賛成だ。一億総中流って言葉は現在もはや死語である。中学、高校、大学入試という入口が財産に関しては平等であるという前提さえ守られるのならば、その先、卒業する学校によってその後の活躍の期待値が違うわけで、のちのち社会的地位・収入に差が出ることは当然あっていいことだと思う。だけど、勝ち組負け組に分かれたとしても、アメリカのように、日本人の中にいくつかのカテゴリができるような状況にはなって欲しくない。日本人は1つの日本人であってほしいのである。