旭山動物園くらぶ代表の多田ヒロミさんが新聞のコラムに寄せた『言霊』タイトルの記事から↓
「言葉は道具であり、その道具の手入れをちゃんとしておかないと釘をまっすぐに打ち込めない」
    
↑『ツイン・ピークス』の中でディル・クーパーがレコーダーに吹き込んだリポートでのセリフだそうです。(原書ではどこに書いてあるのかなぁ。後からチェックしてみようっと。誰か知ってたら教えて。)
 そして多田さんは次のように締めくくる。
「言葉を道具とするなら、やはり日ごろの手入れが必要不可欠であろう。手入れをすることによって愛情や尊敬の念がわいてくるものである。ここで今一度、自分が日常使っている言葉を見つめなおしてみよう。きっと手入れが行き届かないままの道具で、曲がって打ち込んだ釘が、誰かを傷つけているかもしれないのだから。」

そうですよね。いつかどこかで習い覚えたままの母国語を、意識的にメンテナンスしてるかというと。意味や用法を「自分が誤って使ったり、意味を勘違いしたまま使ってるかも?」などと思いもせず使い続けてることもあるし。
国語が得意で好きとか日本語教師になるとか、なにかきっかけがなければ改めて自分の『言葉」を手入れするなんて考えないことのほうが多いかもしれませんね。

ボディであれば手入れを怠けてることはハッキリ目に見える。しかし、言葉(頭)の手入れをしてるかしないかは見えない。しかも頭は使わないとドンドンバカになってくる。気付いた時には...っていうか、本人には分からない?

話はチョイそれて、以前バスで耳にした卒業間際の高校生の会話...
「(卒業したら)もう頭使うのやだ。もう考えたくないよ。」
って、どうみても頭を使った複雑思考をしたことはなさそうな子たちでしたが。(笑)
思考の放棄は人間であることの放棄。もし脳内から言葉が消失したら、アナタはどんなアナタになるのだろう。

さて、自分の言葉手入れに関して思うこと:好きな分野は努力しなくても楽に考えられるので頻繁に思考対象にする。が、無関心・専門外がかなりお寒い思考状況。やっぱ「頭使うの面倒くさい」(笑)って思ってしまう分野、頭使わない分野一杯あります。