あの日、船場から船出した。


たまたまクルーを募集していた船の乗組員になった。


担当は調理場。


来る日も 来る日も じゃがいもの皮をむいて過ごした。


洗い場もやったから手がガサガサに荒れた。


嵐の日には甲板にも出た。


皆で破れた帆の修繕もした。



洋上ではいろんなことが起きた。


友情や 対立や 疑心暗鬼や 恋愛や 失望や。。


船を乗り換えるクルーも多かった。


もっとでかい船に乗り換える奴や


タンカーみたいに まるで違う分野に行く者も。


すごいのは、小さなスキッパーに乗り換えて自分独りで航海をする奴も。



十年ほど乗った船を、僕も乗り換えることにした。


比較的大きな船に乗り換えた。


僕らの乗った船は海流と風の吹くまま流されていく。



今は、航海技術もすっかり変わった。


良し悪しは知らないが、もう昔とはまるで違うことだけはたしかだ。


大きな船が良い とは限らない。


それだけは確かなことだ。


だれもがちょっとずつ手を抜いて、持ち場の責任を少しだけおざなりにする。


ちょっとくらいのことでは沈まない船だから、みんなが少しだけ手を抜き、気を抜く。


そんな船が一番やばい。



たとえ小さな船でも、少々おんぼろ船でも、


クルーの志が一方向へ向いていれば必ず目的地に着くものだ。


少し時間が掛かっても、遠回りをしても、必ず目的地に着くことができる。


今やばいのはでかい船だ。 寄らば大樹のでかい船だ。



その気になれば、数キロくらいは自力で泳いで


他の船か もしくは木切れでも見つけて しがみついてでも生き延びなければならない。


そういう気持ちでいなかったら、もう大樹やでかい船は、


いちばん油断できない場所になってしまったのだ。