「え、わたしが?」

ぬくぬくと暖かい布団の中で眠りについていた私に、

不意にその声は届いた。

「おまえが『代り』に選ばれた。ほんとうにいいんだな」

その声は、すでに物事が決まって、時は動き始めている中での、

確認の言葉だった。

..わたしが、代りに、病気になるのだ。


「いつ、そんな取引に応じたのだろう?」

心地よさの中で目を閉じていた私は、思い出そうとしていた。  

そう言えば.. そうだ、あの時だ!


たしか、入社してすぐで、同期の連中とよく飲みに出掛けていた頃..

給料が安いだの、受付の○○は可愛いだの、

△△部長はまるでダメだの..

飲みに出掛けてはくだらない話を肴に、安っぽい酒を飲んでいた。  

 就職で出てきたこの街も、こうして周りに合わせている弱い自分も、

 何もかもが、チープでイージーで大嫌いだった。

そんなとき、たまたま隣りで飲んでいたおじさんの話を聞いてしまったんだ。

「だけどさ大将、俺なんかこうして単身赴任でしょ。するとカミさんの有難さが

痛いほど身にしみてさ、週末は楽しみなんだ」

会社の愚痴をこぼすでもなく、大将の作るアテを喜んでパクついて、

週末に家族と会うことを楽しみにしている。

 いいおじさん   ..私は、心の中で思った。

..もし、この人の奥さんが病気になったら、おじさん悲しむだろうなぁ。

そんなことを想像した私は、酔っ払った頭の中で

 もしこのおじさんが喜ぶなら、この人の奥さんが病気になったとき、

 代ってあげたいなぁ。若い私の身体なら病気に太刀打ちできるだろうし..

そう思ってしまったことがあるのだ。

 あの時か? ..心の中で繰り返した。


「どうしたの、大丈夫?」 妻が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。

「おなかの具合は、どお?」

妻には言えないが、これは風邪とか下痢という生易しいものではないんだ。

湯冷めとか刺身肉を食べたとか、そんな理由でなった訳でもないんだ。

<あの時> 私は取引しちまったんだ。

「大丈夫、あなた。きっと<あの時>よ。ほら、お風呂から上がって  

ずっと寒い格好でテレビ見てたじゃない、あれがいけなかったのよ」

 そうだ、<あの時>だ。新米社員の頃、あの安っぽい居酒屋だ。 


「ねぇ、聞いてるの? おかゆに梅干、ひとつでいいの?」

暖かい布団の中で心地よく寝ていたはずの私は、

じわりと汗ばんでくるような不快感と焦りを噛みしめていた。