べんてんざくら
弁天桜
福島県 田村市 滝根町(たきねまち)
これについては、近くに立看板がありました。
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/622.png)
女は子供時代は親に従い、嫁に行ったら夫に従い、老いたら子供に従うため、どんなに広い世界であっても心から安らげる場所などない。
生きることは修行だ、夢はみるな的な…。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240423/07/20030830-0620/ff/c2/j/o1080060715429395106.jpg?caw=800)
1週間ぐらい後。
セカンド アタックは、桜散り始め。
気がつけば、枝振りばかりを見に来ているような気がします。
むかし、むかし。
今から約400年前の江戸時代初期。
四代将軍・徳川家綱様の時代のお話です。
菅谷郷のとある農家には容姿端麗、誰もがうっとりと見とれてしまうような大変な美少女がおりました。
この美少女のことを、男性達は「菅谷弁天(すがやべんてん)」と呼び、女性達は羨望と嫉妬が入り交じった複雑な眼差しで見ていました。
何をしても噂の的だった美少女のことは、隣地域である飯豊郷(現・小野町飯豊?)の庄屋にも伝わります。
光の速さで両家の縁談がまとまりましたが、美少女はこの結婚をとても嫌がりました。
両親は「百姓の娘が庄屋の家に嫁に行くのは、このうえもない名誉だ」とし、一家をあげて喜び、嫁入りさせます。
庄屋の家には、とても厳格な姑・おばあさんがいました。
この地域でその厳しさを知らない者はいない、怖すぎるおばあさんとしてとても有名な人です。
案の定、おばあさんは嫁になった美少女をイジメ倒し、ヒステリックに怒鳴り散らしては精神的に追い詰めます。
夫となった男もビビりまくって常に見てみぬふり、全然頼りになりません。
美少女はあまりの仕打ちに耐えられなくなり、失意のまま実家へと逃げ戻ってしまいました。
しかし、昔の定めとして一度、婚家に嫁ぐことは永久にその家の土になる風習がありました。
両親は「婚家に帰るように!」と厳しく説得します。
美少女は泣きながら父母に挨拶をし、しおしおと来た道を戻りました。
しかし、道中、どうしても、どうしても、どうしても、どうしても婚家には戻りたくない!
その気持ちだけが強くなりました。
心身共に追い詰められた美少女は、山田の池に身投げし、死んでしまいました。
![指差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/602.png)
娘の死を知った両親はとても悲しみ、そして後悔しました。
薄幸だった娘の冥福を祈るために…。
両親は1本の桜の木を植え、石祠を建てました。
以上、謎の主観が多すぎる『弁天桜物語』です。