①難攻不落の名城『大里・牛ヶ城跡』…自粛中に籠城ゲリラ戦を妄想する | 【蛇莓のショートケーキ♪】

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歴史とロマンを愛する歴史探偵の皆様ごきげんよう。

自粛生活が長く続き、気分がふさぎがちになりそうなのでワタクシ「籠城戦」「名城」について妄想をひろげておりましたのよ。


福島県 天栄村(てんえいむら)には、室町時代に築かれた山城『大里(おおさと)・牛ヶ城(うしがしょう)』跡があります。

牛ヶ城は戦国時代の中世城館跡です。
規模は大きくはないものの優れた曲輪(くるわ)の配置、名将による激戦、天候を熟知していた上での戦略…などから『伊達政宗に最後まで抵抗し、落城しなかった城』『難攻不落の名城』として有名ですのよ。


牛ヶ城は当時、岩瀬郡を支配していた須賀川 二階堂氏の家臣・矢田野氏の所領でした。
また、大里には矢田野伊豆守の弟である、矢田野安房守(やたのあわのかみ)が住んでいました。

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※中世城館とは鎌倉時代から戦国時代までに築かれた館(やかた)と城(しろ)。物見櫓はあったが、石垣はほとんどなく、天守閣を持たないスタイル。
東北地方では城館跡を古くは舘(たて)、または要害(ようがい)と呼び、その後は柵(さく)、館(たて)、塁(るい)、城(しろ)と呼び名が変化する。現在では館(やかた)、城(しろ)、山城(やまじろ)と大きく別けられている。





天正17年(1589年)10月26日。
葦名氏を滅ぼし会津に移り住んだ仙台藩祖・伊達政宗によって、須賀川 二階堂氏が攻められる。

須賀川 二階堂氏の家老、守屋俊重の謀反により落城。

二階堂氏の一族である矢田野伊豆守は政宗に従うが、領地は3分の1となる。

矢田野城、破脚。
牛ヶ城は残った。


天正18年(1590年)5月9日。
伊達政宗が黒川(現在の若松)を出発し、越後、甲府経由で小田原に向かう。
矢田野伊豆守も同行するが、政宗に対する反感から佐竹の陣に駆け込む。

留守を守っていた弟・矢田野安房守は近辺の男女全員400~600人と籠城、最後まで抵抗する。
二階堂氏の旧家臣・泉田将監、明石田左馬介も加わる。


6月14日。
政宗、秀吉の許しを得て小田原を出発。


6月25日。
政宗、会津の黒川城到着。


6月25日。
矢田野氏の城代、桑名因幡居城、羽黒館が攻められ落城。


7月4日。
政宗は、矢田野氏の振る舞いに激怒。
伊達成実、片倉小十郎(かたくらこじゅうろう)、石川昭光(いしかわあきみつ)らに命じ、弟の守る牛ヶ城を5000~10000人の大軍で攻める。
南西の関場山には政宗の重臣・片倉小十郎の指揮する大軍、南東方向の羽黒館には石川昭光、東の陣屋久保館に大将・伊達成実を置いた。

激しい戦いが展開。
『大里軍』泉田将監の鉄砲隊が活躍。
敵兵の頭上から大石を投げ落とす。

政宗軍、攻め落とすことができない。

泉田氏は「大さとを小里とおもいあなとりて手こすれば陣に昭光」「かたくらに乗て落とすと小十郎われは鉄砲うちたほさなん」と詠む。

敵は「泉田とたのむ水の手とりぬれば喉のかわくをなんと将監」と詠む。
しかし、その後雨が続き、用水はなんとか間に合ったという。


7月5日。
小田原城落城。11日に北条氏政と氏照が切腹。


7月13日。
政宗、米沢に移る。


7月15日。田村氏、大里の陣にいる。城落ちず。


7月17日。
豊臣秀吉、小田原を出発。会津に向かう。


7月19日。
水曲輪が攻められ、水攻めにされ落ちる。
他の曲輪は落ちず。そこで敵(政宗軍)は、死人を投げ込み用水を使用できなくする。

矢田野安房守は、深夜40人で土手を切り、7~80人で敵の陣屋に火をかける。
その後も深夜のゲリラ戦を繰返し、敵を数人討ち取る。


7月20日。
木村氏より政宗に、道、橋、御座所(ござしょ)、御上米(おあげまい)を申し付ける。


7月21日。
政宗、矢吹氏に大里攻めを命じる。


7月24日。
政宗、大里の城落ちず、関白が下向するまで落とすように命じる。水の手を相切るという。


7月26日。
関白、宇都宮に御着。


7月28日。
政宗、宇都宮で秀吉に拝謁(はいえつ)。


8月2日。
浅野氏の意見を取り入れ、大里の城攻めを中止。
陣を解く。
秀吉、狼藉(ろうぜき)や火付けをしないよう命令。


8月7日。
関白、長沼に入る。
矢田野安房守、大里の城に火をかけて退き、所領を捨て佐竹氏を頼る。
その後、佐竹氏が秋田に移封となり、秋田県南部の院内口を警護する。矢田野から縁のある二階堂に改姓し、子孫は角館に住んでいる。


8月9日。
関白、黒川(若松)に着く。


8月13日。
関白、黒川を出発。南山(南会津)を通り、高原を越える。







《参考資料》
●お城探険・大里「牛ヶ城跡」見て歩き

●てんえいむら・見て歩き・トラベルブック