昨年の秋、私は何十年かぶりに安達ヶ原『観世寺』に行きました。
鬼婆が住んでいたという「岩屋」をノスタルジックな気持ちで眺めておりましたら、50代ぐらいの御夫婦が仲良さげに観光にやってきました。
50代ぐらいの御夫婦は、巨石群を一回り鑑賞し、鬼婆が住んでいたと云われる「笠石」の前で立ち止まりました。
しばし無言で眺めていましたが、御主人の方が先にその場から立ち去ろうと歩き出しました。
しかし、御婦人は長い間、「笠石」を眺めています。
しばらくすると御婦人がくるりと振り返り、御主人に言いました。
「女性は誰だって鬼女になれるのよ、心のどこかに鬼がいるのよ」
御主人は何も言わず、苦笑いをしていました。
…私はこの御夫婦のやりとりがいまだに忘れられず、何かの拍子に思い出しては、その言葉の意味を考えておりました。
昔話には「鬼になった女性」や、「大蛇と化した女性」がたくさん登場します。
彼女たちは皆、恐ろしい特殊能力と残忍な殺人エピソードを持っています。
伝説になった「鬼女」や「女大蛇」たちと、平成時代にTV等のマスメディアで騒がれた「現代の女性犯罪者」たちを比べますと…、なんだか、ちょっと…性質が違うような気がします。
昔話のダーク・ヒロインは苦悩の末、とんでもない「魔物」と化し、残忍な方法で人を殺めます。
この時代のダーク・ヒロインは、「愛情のねじれ」によって魔物になりやすいです…。
TVニュースやワイドショーで2週間以上、毎日まいにち報道されような女性犯罪者は、自分自身の欲望を成就する為に人を殺めます。
楽して贅沢する為の「お金」、セレブ感を自慢する為の「名誉欲」ためだったりします。
身の丈に合わない「贅沢と名誉欲を維持する為だけ」に、他人を自殺に追い込んだり、殺害したりするケースが多い感じがします。
…昔は「愛情のねじれ」、現代は「身の丈に合わない贅沢と名誉のため」。
女性が、欲しいと望むモノは時代と共に変化したのかしら…?!
と、薄ボンヤリと考えてしまいます。