2004年 3 月 7日 ~旅日記より~

 

晴れ。昨夜は寝始めは寒く感じたのだが、午前1時ごろ小便に起きたときは、寝袋の中で暑く感じるぐらいになっていた。

もちろん自転車旅で使用しているイスカ製のマミー型寝袋を使用している。

外は風もなく月が辺りを照らしヘッドライトを使わずに物が探せるレベルである。

起床は7時過ぎ、米を炊くため水場へ行くと、凍っている箇所もあり水量も少なく、やはり高所なのだ、平地と違うしこれから更に厳しくなってくるだろう。

朝食はお米を炊いて食べただけで、サラミやチーズのために取っておくことにした。

もっと多く持ってくれば良かったと、やや後悔。

8時45分、今日は高度順応するため標高4000mぐらいまで行くため、コンフルエンシアを出発。

川沿いにプラザフランシアへ向かう。

山頂付近は日が射しているが、この辺りは山の陰なので寒いトレッキングコース。

服装は長袖シャツ、ロングスパッツ、ゴアテックスのカッパの上下、リュックには一眼レフカメラと水600mlの軽装備。

ストックを使わなくても軽快に行けそうである。

4000m近くから息の上りが更に進んだが、思ったより楽に高度順応の目的地プラザフランシアに到着できた。11時30分。

休憩をしていると、年配のトレッカーが来たので互いに写真を撮り合った。

美しいアコンカグアの南壁を眺めながら少し昼寝をしたが、地球の裏側でこんな景色の中で眠れるなんて贅沢である。

余計な音がなく太陽が心地よい暖かさをもたらしてくれる。

遠くで馬に乗った2人組ものんびり休憩しているのが見える。

山頂の上空に雲が出て来ているが、11時ごろからと比べ増えてきている。

風も少しづつ強くなってきている。

南壁下にある土を被った氷河から時々「ピシ、ピシ」と亀裂音がする。

地球は生きている!そう感じさせられる。

戻りは2時間ぐらいでコンフルエンシアに戻りひと息つく。

風は弱まり、日射しも強く、そして暖かいのがありがたい。

また眠気が出て来て、少しウトウト。

18時ごろから夕食を作り、19時半に食べて終わり、あとは眠るだけとなる。

こんな感じで2日目は終わっていく。

 

2004年 3 月 8日 ~旅日記より~

 

晴れ。寒い中の朝食準備やテント撤去は気持ち的な時間がかかり、はかどらない。

今日の予定は8時間歩くので気が滅入るのは、登山靴による足の痛みのせい。

9時5分出発。

橋を渡り上りとなり動きが鈍る。

追い越していくムーラを尻目に「このリュックも運んでくれよ」と心の中で呟いてしまう。

山影から日が照ってくれると暖かくなり、長袖シャツとロングスパッツのスタイルでの登山となる。

しばらく歩き足の痛みがないことに安堵する。

昨夜更に登山靴をナイフでカットしたので、くるぶしの接触箇所がかなりなくなったからだろう。

ようやくまともに歩けることは大変嬉しい。

山々の間をなだらかに上るのだが、石がゴロゴロしており歩きにくい。

そんなときはムーラが歩いた跡を辿るのがわりと楽である。

高所なのでリュックの重さを特に感じてしまう。

何度も立ち止まりながら呼吸を整え進んでいく。

テント場がある場所までキツイ上りがあり、そのテント場からオールド・プラザ・デ・ムーラスまで長く感じる。

壊れた小屋が見え、「ようやく到着か?」と喜ぶも、実はそこからの上りが今日一番きつく、螺旋階段のように上り、少し下り、また上るという感じで疲れている時に更に消耗していく。

途中にストックの傘を紛失して探し戻ったりで、17時10分、ようやく目的地のプラザ・デ・ムーラス(標高4350m)に到着。

最後は息を整えながら亀のような歩く速度だったね。

こんなに遅く歩いたのは初めてだ。

さて、ここで昨日届いているであろう私のリュックを探す。緊張の瞬間。

あった!

チェックポイントテントの外に置いてあった。

中に入れといてくれよ!と思いながら食料などでかなり重たいリュックを運ぶ。

テントの上に久々にフライシートも被せたのは防寒対策である。

水場は200mぐらい離れた場所にあったが、水溜りみたいな箇所からすくってペットボトルへ移す方法

川の水は濁っているしね。

夕食は食欲もなく、それ以上に作るのが面倒だったので、パンやチョコなどを食べた。

ここから目にするアコンカグアは南壁のように雪を被ってないので、イメージと違うのは、それだけ山頂へ近づいたからだろう。

山も眺めるのには近くより遠くの方が美しいよね。

周囲の山々の眺望もあり空気も澄んでおり、ここの景色は大変美しく感じる。

今、日記を書いているとドクター(チェックポイントテントにいるのだ)が来て「大丈夫か?水は4L飲むんだぞ」と念を押されてしまった。

そして血中酸素濃度計測をされ・・・70%と、かなり低いことが判明した。

正常値は99~96%だよな・・・。

酸素濃度は100m上がるごとに1%低下していくので、ここ標高4350mの地では、海抜0m地点の56.5%の酸素しかないということか・・・恐ろしいね。

なんにしても非常に疲れた日であった。

あぁ~4Lの水なんて飲めないや。

 

2004年 3 月 9日 ~旅日記より~

 

晴れ。昨夜はやはり頭が少し痛くなかなか熟睡できなかった。

高山病だね・・・予想以上の身体への影響を体感している。

朝10時ごろ、ようやくテントから出て、外で少し休憩。

迷ったがドクターがいるテントへ向かい薬などないか?訊ねると、すぐさま血中酸素濃度測定、そして補聴器での診断などをされる。

すぐヘリで下山するように

「えっ?」驚いた。

まだそんなに悪い状態でもなく、軽度の急性高山病(AMS)を起こした人は、それ以上高度を上げずに休む必要があり、2~3日休んでから行動するつもりだったのに、不用意にドクターに相談したことを後悔もした。

まだベースキャンプ地に到着しただけで、これからが登山なのだよ!

ただ、もしこのまま私の状態が悪化しようものなら、彼等にも何らかの責任がかかることぐらいは理解しているから難しい。

2,3日安静にしていたら問題ないよ

そんなやりとりをしながら事態を窺っていると、望まない方向へ加速していった。

君のテントはこちらで撤収するから下山の用意をするように

言いつけるように言われ、ドクターが何やら男たちに指示をし始める。

ドクターテントから外へ出ると、私のテントの撤収準備をレンジャーたちが開始しようとしていて驚いた。

私は大丈夫だ、2~3日休養をすれば問題ないから、そんなに悪くないよ

そんな私の話しなど聞く耳持たず、撤収は進んでいく。

オイオイ、強引過ぎるんじゃないか・・・。

あぁ~もうどうにもならないや・・・。

おそらく、一度状態が悪いと診断した登山者をこのまま放置しておくことは出来ない規則なのだろうか?

テントなどの荷物はムーラで降ろすように

ヘリには私しか乗せないとのことまで指示してくる。

規則なのだろうが、これには断固粘り、結局2つのリュックも私と一緒にヘリで運んでくれることになったが、何とも悔しいやら情けないやら虚しいやらの感情が入り交じりで、ベースキャンプから下山を強いられることとなった。

終わった・・・私の南米最高峰アコンカグア登山は4日目のベースキャンプで幕を閉じてしまった

ヘリはすぐに飛び立ち、ヘリからの眺めは悔しいが良い。

僅か6分の空中散歩を終え登山入口で降ろされると、まったく頭痛などは消えてしまった。

高度順応が上手く出来てなかったことに改めて悔やまれた

プラザフランシアで余裕だからと、すぐ上へ向かわず、もう1日でもコンフルエンシアに休養して体を慣らしておけば良かったな・・・後の祭りだ。

そんなことを考えていると、さっきのヘリが様々な荷物などを一緒に私のリュックも運び降ろしていった。

聞けば、シーズンオフに入ったのでドクターテントは今日撤収し、ベースキャンプにはドクターなどは今日から不在となるとのこと。

なんと・・・もし、もう1日でも遅ければ、私は強制的に下山されずに済んだのでは?

そう考えてから考え直すことにした。

仮にあのまま2~3日休養していたからと言って高度順応できたかは疑問であり、ヘリで下山させられる不名誉な体験をしたことを教訓に、今後更に慎重を期して行動するべきだろう。

たくさんの残った食料が入った思いリュックを背負いバス停まで向かう。

プエンテ・デル・インカからメンドーサ行きのバスで1番近いのは17時頃であり、しばらく時間があった。

メンドーサには21時ごろ到着し、バスターミナル近くの宿へチェックイン。

敗戦気分を感じながらも久々の布団は心地よく感じた。

 

●出費 3月  9日(アルゼンチンにて)

●バス12、宿20×2、スプライト2.6

計 54.6(合計 1967.16)

1USドル⇒2.88アルゼンチン・ペソ