2003年 12 月 26日~旅日記より~
だいぶん体調は上向きだがもう1泊することに決めた。
朝6時半ごろ国際電話を掛けに出かける。
日本との時差は14時間で、日本の方が14時間進んでいることになるので同日の20時半ということ。
昨日は繋がらなかったが今朝は繋がった。どうやら回線がいっぱいということは本当だったようだ。
電話口には懐かしい母の声。
こちらからリマから送った荷物の確認、NHK紅白の録画、アレキパに滞在しており、今後プーノへ向かうことを伝えていると電話が切れた。
10ソーレス(349円)のテレカでは3分も通話できなかったけど、要件やこちらの無事も伝えられ、母の声も聞けたのでよしとする。
10時頃に買い物へ出かける。
これから4000m級の山々の道を走行予定なので防寒用の長袖フリースを20ソーレスで購入。
メルカド(市場)での食事はぺスカド(魚)のフライと生ジュース(昨日美味しかったので)。
これが午前中の食事で、午後2時ごろも同じメニューを食べたのは美味しかったことと、体力回復へ向けて。
3泊目になると宿主人ともよく話すようになる。
相変わらず感じはよく話しかけてくれる。
私が買い物から宿へ戻ってくると「アキラ・カトウ」と笑顔で名前を読んで迎えてくれる。
もちろん今まで日本人がこの宿に多く宿泊していることで、親日家ということはわかるし、何にしても嬉しくこちらもニカッと笑顔を返しながら小さな幸せを感じる。
今日は主人が宿帳を見せてくれ日本人女性の名前を指し、手を胸に当てはにかんでいたのはかわいかった。
どうやら彼女へ好意を持っているようだ。
夕方もポジョ(鶏肉)を2軒の店で食べ歩き体調は戻った感じだ。
明日は「いざ!プーノへ」
●出費 12月 26日
●生ジュース 1.5、ケーキ 8、ビスケット 2.2、昼食 1.5、2.5、夕食 3.5、4、歯ブラシ 1.3、長袖フリース 20、ホテル 12
計 56.5(合計 1578.9S/.)
※1US$⇒120円⇒3.44 S/.ソル
1S/. ≒ 34.9円
2003年 12 月 27日~旅日記より~
少し眠かったが6時半には出発で来た。
昨日確認していたが走行ルートを再確認しセントロを抜け、チグアタ方面へ向けペダルを漕ぐ。
ゆるい上りが続き山々が近くに見えてきたころには数km押し歩いていた。
晴れ間があり汗をかき、やや冷たい風で肌寒くもある妙な感じ。
バニョス・デ・フスウスを過ぎた辺りで洗車中の男に声をかけた。
「チグアタは直進でOK?」
彼が手を休めアドバイスをしてくれた。
「チグアタまでは舗装路だがそこからマニャソまではダート道だぞ」
「そのタイヤではダメだ。4000mを越えるので寒いぞ」
「ユーラからスゥンバイはずっと上りでスゥンバイからプーノまでは下りだ」
うむぅ~~、少し迷った。
ダート道がどの程度のコンディションからわからないのと、ユーラ経由はかなり遠回りになるから。
うむぅ~~、結局その洗車男のアドバイスを聞いてセントロへ来た道を下った。8.3km進んだがそれは無駄ではなかったことを祈ろう。
セントロ(中心部)を通過してからユーラまでは悪路であり、少し上りそして下り線路沿いを走る。
ユーラ手前にセメント工場がありそこの管理人に情報リサーチ。
「ユーラから先のスゥンバイまでに町はあるの?」
どうも町はないようで、今日はユーラ泊と決め、左折し下ってユーラの町へ向かう。
旅行者用の高級ホテル?チックの宿の前にある安オスぺダへの門をたたき、出て来た老宿主に「1泊10ソーレス?」と単刀直入+願望も加えた交渉を切り出すと、「そうだ」と即答してくれたので、そのままチェックインとした。
そのお陰で11時には水シャワーを浴び洗濯を干すというなんとも早々と明日へ備える状態になれた。
レストランは少し下った所に2軒営業しており互いに客引きをしており声をかけられた。
4ソーレスと言っていた店じゃない方は、2ソーレスでメニゥーが食べられるとのことで、そちらへ。
村営浴場前のお店で、炒った豆が付け出しで、フーゴ(ジュース)はなかったものの、なかなか満足できるもので、15時過ぎにももう一度食べに来てしまうほど。1食70円なので2食食べても全く経済的に問題ない。ありがたいものだ。
村営浴場(水着着用)はペルー人で賑わっているようだったが、私はあまり興味なかった。
午後からは曇りにせいかどんより暗くなってきて、慌てて洗濯物を取り込む。
夕方は肌寒くなってきた。
◆走行距離 45km ◆総走行距離(11228km/129日間)
◆最高時速 59.5 km/h
◆平均時速 12.5 km/h
◆時間 3時間 36分
●出費 12月 27日
●パン0.1×15、ジュース 1、2、昼食 2×2、ホテル 10
計 18.5(合計 1597.4S/.)
※1US$⇒120円⇒3.44 S/.ソル
1S/. ≒ 34.9円
2003年 12 月 28日~旅日記より~
ユーラの朝は寒く、6時前から出発準備をしていると宿の老主人がコーヒーを淹れてくれパンを2個添え「食べろ」と少し微笑んでくれた。
硬いパンを食べながら、この老人の優しさとコーヒーの温かさを感じ、こういう出来事が旅先で得る宝なのだろうと実感した。
スゥンバイを通りプーノへ行くと話していると、スゥンバイは違うと何度も言ってきた。
確かに・・少しアレキパ寄りにあるが・・・どうだろう?
天候に恵まれ幹線道路まで押して進んでからペダリング開始。
ミドルギアでゆっくりと進む。キャンプすることも考え水も余分に持っているので心の余裕はある。
上りが続き押し歩く時間が長くなる。
下って来るトラックは多く、上っていくのはバスが多い。
15km上った所で、そう息も上がっておらずこれならまだまだ上へ押し歩けると進もうとしたとき後ろからクラクションを鳴らされた。
「どこから来た?」「どこまで行くの?」
自転車旅のアジア人に興味を抱き聞いてきたようで答えいると、笑顔で上まで乗せてやると。
優しい笑顔と今日は気分も良く、話ながら少しならいいか?とお言葉に甘えた。
オンボロのバンの後ろにバックを外した自転車を入れる。前には運転手(息子)と老夫婦そして犬1匹。
皆気のいい人たちですっかりリラックスして寛いだ。
車はかなりのロースピードで上って行く、景色は雪を被ったチャチャニ山やブッシュの草原が広がる。
時計の高度計をチェックすると乗車時の3000m付近から4000m付近へ上昇している。
日本では見ることのない4000m附近の景色である。
時々アルパカやリャマが放牧されているとやはりその高度の違いは感じた。
さて、このオンボロ車だが、途中何度もエンジンを冷やすためペットボトルの水をかけた。そして水がなくなると水を探し2回ほど汲みに付近を下りることも。
しかし、ビルカチャニまでと言っていたがかなり走っているように感じながら、看板を見てもそれらしいことも判明せず、聞こうかとしているとパンクした。
左後輪パンクでスペアタイヤとの交換はもちろん率先して手伝った。
結局、そこから少し先の比較的大きな集落に停車したとき「ここはどこになるの?」とおそるおそる訊ねると「サンタ・ルシアだよ」と。
え~~、と予想を超えて先へ進んでいること驚きと、ビルカチャニまでと言っていたじゃないか・・・そんな感情もあったが、もちろんこちらが怒るわけにもいかず、まっ、遅めのクリスマスプレゼントということにしよう。そんな勝手な理屈をつけ気持ちを治めた。
フリアカまで乗っていけよという彼らに丁重にお礼を申し、ここで降ろしてもらう。
「ムゥチャス グラッシアス」
握手そして抱擁して別れを告げる。
乗せてくれたこともそうだが、短い時間だったが温かな家族の空間に自分も入れて頂いたことが本当に有難かった。
こういう出会いや経験があるから旅は楽しく深く面白くなっていくのだろう。
彼らの今後の幸せを願いながらそんなことを思った。
さて、自転車のセッティングを済ませ、自転車タクシーの案内でサンタ・ルシア(腕時計の標高表示4135m)のセントロにある安宿にチェックインした。
観光地でもない幹線道路にある小さな町の安宿には期待できないのが普通。
ここも相当ボロく、シャワー無しでトイレは汲み取り。
ただ6ソーレス(約209円)とペルーを含めこの旅最安値の宿代を更新した。
宿主から聞いて驚いたが以前、日本人が1人宿泊したことがあるそうだ。
セントロを歩くと高山病の症状で頭痛がしたのは順応せずここまで上がったせいもあるのだろう。
鉄道が通っており、家並みもわりと多く見えるが人が外を歩いてなく、寂しく感じる町でもあると感じた。
◆走行距離 16km ◆総走行距離(11244km/130日間)
◆最高時速 40.5 km/h
◆平均時速 6.6 km/h
◆時間 2時間 25分
●出費 12月 28日
●夕食 2.5×2、ホテル 6
計 11.0(合計 1608.4S/.)
※1US$⇒120円⇒3.44 S/.ソル
1S/. ≒ 34.9円