2003年11月27日~旅日記より~
体調はだいぶん回復したが万全にはもう少しなので、もう1泊、チクラヨに宿泊することにした。
数日遺跡巡りで歩いてばかりだったので、ゆっくりする日にする。
とは言え、市場へ買い物へ行く。目的はお湯を沸かす電熱コード。
何とか200V用を見つけたので、その店でコードと差し込みプラグを取り付けてもらい13ソル。
ホテルで使うと一発でコイル部分が焼け切れた!・・・と思ったが、切れずに残っている電熱コイルが微力で水を温めているよう。
しかし使えないので、買った店へ出向くが返金で済ませようとする。
これでは、また宿でお湯が沸かせないね。結局、返金後にその壊れた電熱コイルをこちらが3ソルで引き取った。
まだお湯が沸かせる可能性があるからだ。
昼に、エクアドルのキトの安宿スクレで同宿だったハルキ君(一緒に広場に写真を撮りに行った)がこの宿にチェックインしていた。
彼は携帯CDプレーヤーが壊れたので修理に行くとのこと。
明日は、私も含め3人、今夜は1人の日本人がチェックアウト予定。
約3ケ月もこの宿に沈没(宿泊)していた2人も、それぞれリマ、イキトスへ向かう。
遺跡に詳しい彼らからシカン遺跡の天地逆に埋葬されていた貴族の謎を聞いた。
天地逆は子どもが産まれることを意味し、首が切れているのは、東を向いている。つまり、太陽の昇る方角、そして下にいる2人の女性は産婆さんが子どもを取り上げているのを表しているとのこと。
そう説明され謎が解け納得した。
3ケ月も滞在しながら色々調べた一部を、私は数日滞在して教えていただけた。感謝!
夜7時のバスでリマへ向かう吉村さん(文庫本交換をした方)を見送り、ついでにキンコンを買い坂本さん小畑さんと宿へ戻りながら食べた。
小畑さんが向かうトルヒーリョの話、イキトスへ(船で)ペルー人女性と向かう坂本さんの話を聞きながら。
今日来たハルキ君もカハマルへ向かうとのことで、明日には今この宿に滞在する日本人全員いなくなるようだ。
寂しくなる。でも一人だけ残るのではなく良かった。みんな一緒にそれぞれの方向へ進むだけだ。
宿でも最後のいろいろな話をして別れを惜しんだ。
●出費 11月 27日
●パン 0.2、チョコ 2×3、缶詰 1.2、ラーメン 1×2、キンコン 1.5、夕食 1×2、湯沸コイル 3、ホテル 15
計 30.9(合計 326.1 S/.)
※1US$⇒120円⇒3.44 S/.ソル
1S/. ≒ 34.9円
2003年11月28日~旅日記より~
いよいよチクラヨ出発!
4時半ごろ目覚めウトウトしながら朝食のラーメンを作り、パンケーキなども食べる。
6時前には荷造りをし、6時半には準備完了。
坂本さんとハルキくんに別れを告げ(小畑さんは寝ていたので起こさなかった)出発。
寂しさとワクワク感を兼ね備えるこの感じは、久々の走行時ならでは。
平坦な勾配の道は快走で快調。
朝方少し前からの風で砂漠地帯から山が見える景色に変わる頃には、風はほとんど感じなくなりスピードが上がった。
しかし、チェペンを過ぎ進行方向が変わると向かい風になる。
パカスマヨの郊外まで風に苦しまされた。
またそこから進行方向が変わると斜め後ろからの追風。
サン・ペドロ・デ・イヨクまで走行した。
セントロに入ると民家は多いガ商店は少なく、特にホテルらしきは見当たらない。
町人にホテルの場所を聞くも人により教えてくれる方向も違い、右往左往していると、自転車の青年2人が声を掛けてくれたので助かった。
彼らにホテルの案内をしてもらった。
わりと離れた場所にオスぺダへはあり(2箇所と1軒は民家)15ソルの最安の商店と一緒の宿に決めた。
水の給水制限があり、うっとうしさを感じるが仕方に。ここは日本ではないから。
メルカドまで少し離れた場所の宿だが主人は親切でリラックスして過ごす。
◆走行距離 116km ◆総走行距離(9321km/106日間)
◆最高時速 35.5 km/h
◆平均時速 17.6 km/h
◆時間 6時間 35分
●出費 11月 28日
●パン 0.1×15、バナナ 0.1×2、炭酸水(2.5L)2、チキン(屋台) 1×2、昼食 3、夕食 3、ホテル 15
計 30.7(合計 356.8 S/.)
※1US$⇒120円⇒3.44 S/.ソル
1S/. ≒ 34.9円