『子供の日』の問答無用 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 

 数年前、新型ウイルスの蔓延で外出自粛措置がとられた年から、今頃の季節になるとこのような写真を投稿するようになった。その頃スーパーに買い物に行った時に買ったごく安い物だが、毎年こうして飾っている(ガムテープが汚く貼られているのは見ない事にしといてください)。

 本来、鯉のぼりは子供の成長を願って飾るものだが、当初は外出自粛で学校へ行けなかった子供たちのために、「早く学校へ行けますように」という想いを込めた。

 

 だが。

 その後、ロシアがウクライナに侵攻し、昨年からはハマスのテロに端を発したイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への報復が始まり、この鯉のぼりにかける願いもどんどん悲惨な方向に変化してきた。

「ウクライナの子供たちが、一日も早く平和な日常を取り戻せますように」

「ガザ地区の子供たちが、一日も早く停戦の日を迎えられますように」

 こうした、言わば『負の願い』が年々増えてきてしまい、困惑している。

 

 まずウクライナ。

 侵攻当初のプーチン大統領の思惑からは大きく外れ、そこにはゼレンスキー大統領を旗印とするウクライナ国民の鉄の意志の賜物とも言える反撃が待ち構えていて、戦争は長期化し、いまだ出口は見えない。そんな中、ウクライナの各地では民間人の間に多大な犠牲者が出、その人数には当然多くの子供たちも含まれている。

 一国の独裁者がその領土拡大の野望をむき出しにした時、いかに多くの民間人、特に何の罪もない子供たちが犠牲になる事か、今はもう21世紀なのに、いまだにこうした時代錯誤もはなはだしい愚行が横行しているとは、極論すれば人類の学習能力のなさを考えずにはいられない。無論、人類全てがプーチン大統領のように愚かだという意味ではないが。

 

 一方のパレスチナ自治区。

 先日ある友人と食事をしていた時、たまたまガザ地区の戦闘の凄まじさが話題になり、私は何気なく言った。

「あれはひどいな。民間人の犠牲者が多すぎるよ。まったくネタニヤフって奴は……」

 すると、彼は「何を言ってるんだ?」という顔つきで私に言った。

「バカ、悪いのは最初にテロを仕掛けたハマスに決まってるじゃないか。イスラエルが怒るのは当たり前だ。とんでもない人数の民間人を人質にして拉致してったんだぞ」

 私は、彼がハマスにいたく憤慨している事にむしろ驚き、こう言い返した。

「ちょっと待て。確かにハマスは悪い。あのテロは絶対に許されるこっちゃない……でもな、そもそも、その前にイスラエルがずっと前からパレスチナ『自治区』で何をしてきたか、そこを考えた事があるのか、お前は」

「え?」

 私が『ハマスのせい』という持論に賛同してくれるものだと思い込んでいたらしき彼は、きょとんとした。

 続けた。

「いいか、あそこはあくまでパレスチナの『自治区』、つまりパレスチナ人の土地だ。『自治区』を名乗り国際社会がそれを認めている以上、事実上既にそう規定されてる。それなのに、イスラエルはそのパレスチナに勝手にどんどん入植し、断りもなしに土地をぶん取っては家を建て、街を作ってきた。しかもイスラエル政府が長年それを煽ってきた。パレスチナ人からしたらこんな理不尽な話はない。自分たちの自治区に、隣の国から来た連中が勝手に住んでるどころか、壁まで作って、やがてはパレスチナを実行支配しそうな勢いなんだぞ。そんな状態が何年も続いてみろ、パレスチナ人の憎悪はどんどん膨らんでいって、しかも悪い事にテロ組織のハマスがあの場所を実行支配して政府らしきもの(お世辞にも民主的な正規の手続きを経て成立した政府ではない)を作っちまったせいで、イスラエルにテロを仕掛けた。つまり、長年の憎悪の延長線上に、昨年のあのテロはあるんだ」

 彼は鼻を鳴らして言った。

「お前、ハマスの味方する気か」

「違うよ。ハマスのテロは絶対にダメだ。あれは最悪だと思ってるよ。だけど、その後のイスラエルのやり口はどうだ?本来は人質解放に専念すべきなのに、それにかこつけてハマスを殲滅しようとしてる。いや、テロ組織ハマスの殲滅自体にはオレは異は唱えないけどな、イスラエルはこれまで自分たちがやって来た『入植』という名の侵略を、今回のハマスのテロにかこつけて一気に推し進めようとしてる。結果どうだ?どう考えても『やり過ぎ』なイスラエル軍の攻撃で、ガザの子供たちがどんどん死んでるんだぞ。いいか?子供たちには、ハマスもネタニヤフも自治区も紛争も戦争も、何の関係もないんだぞ?『テロを仕掛けたハマスが悪い』だけで事を単純化するな。背景をよく考えろ」

「そりゃあ……」

 彼は私に強く言われたせいか、黙ってしまった。

 当然、彼に言った通り、私はテロは許せないし、ハマスの味方などではない。一方、確かな情報によれば「ネタニヤフは国内での求心力が落ちていて、それを必死で挽回しようとしている。そのために、ハマスの徹底的な殲滅を貫く事で国民の目を国の外にそらせ、かつ国威発揚をも利用して支持率を上げようとしている」そうだ。

 これもまた、歴史上様々な大国がとってきた、私に言わせれば『悪辣な施策』である。

 そうした馬鹿げた裏事情を彼に説明した上で、私は彼に言った。

「ネタニヤフの政権維持のために、ガザのおびただしい子供たちが死んでる。殲滅されるべきはハマスのみ、目的は人質の解放のみ。子供たちを巻き添えにするのは言語道断。そもそも、これだけの事態が起きてるのに、『世界最強の諜報機関』と言われてるイスラエルの"モサド"は何やってるんだ?結局はその最強能力を使ってネタニヤフの犬に成り下がってるだけじゃないのか?」

 そして、

 食事中の話題にしてはあまりに重かったせいか、その話はうやむやなまま他の話題に移ってしまったのだが……。

 

 ここ数年、子供の日の数日前から小さな鯉のぼりを飾る度に、こうした「あまりに残酷な子供たちの犠牲」に心が痛む。私は、近頃アメリカでまたぞろしきりに言われるようになった、いわゆる『反ユダヤ主義者』などではないが、これはもう主義主張の問題ではない。

 おびただしい子供たちを含む一般市民の命が、戦争という理不尽な行為によって失われ続けている。それがどうにも許せない。

 ウクライナとて同じ事で、かつてのソビエト連邦を復活させたいというプーチン大統領の時代錯誤もはなはだしい野望により(私見とは言え、私にはそうとしか思えない)、彼の野望とは何の関係もないウクライナの子供たちが悲惨な目に会っている。

 ロシアの侵攻もイスラエルの過剰な報復も、ハマスのテロが悪であるのと同等に、いや、それ以上に『悪の行為』と言わざるを得ない。

 

 問答無用なのである。

 どんな理由があれ、戦争によって一般市民・子供たちの命が奪われるという事態は絶対にあってはならない(そもそもそこに理由などあってはならない)。

 このうえは、5月5日の『子供の日』のみならず、『毎日が子供の日』と捉え、常に二つの地(他にも紛争地帯は世界中にあるのでそれらも含める)の戦争が一刻も早く終わり、子供たちが普通に学校に通える日が来る事を願わずにいられない。

 

 来年の今頃もまた、この鯉のぼりを飾るのだと思う。

 その時は、どうかささやかな願いが、少しでも通じていますように。

 

 などと深刻な想いを巡らせながら貼ったせいか、ガムテープが歪んでしまった。

 お見苦しくて申し訳ない……。