70年代末、私が高校2年から3年にかけての頃だったと思うが、ある日突然まるで降って湧いたように現れたのがY.M.Oだった。
そのインパクト、曲のかっこよさ、疾走感、シンセの奏でる扇情的だが美しいメロディ、何もかもが新鮮でたちまち大流行になった。高校の私のクラスでも、聴いていなかった生徒がほとんどいなかったといっていいくらい、教室内はいつもY.M.Oの話題でもちきりだった。
それに当時はSONYの初代ウォークマンが登場した時期でもあり、双方が相乗効果で爆発的人気を博したという面もある。何しろ、街を歩きながら「ライディーン」を聴けるのだから、当時の若者にとってそれは音楽の新たな時代の幕開けだった。
その後、今年の春に亡くなるまで、私はずっと坂本龍一の音楽のファンだった。音楽だけではなく映画にも進出し、「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」(この映画は音楽監督のみ)と、それこそ「ライディーン」の疾走感の如く、彼は世界を席巻していった。
私は特に「シェルタリング・スカイ」のテーマ曲を長年愛していて、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画が好きなせいもあるのだが、繰り返し繰り返し聴いた(今でも時々聴く)。映画の初公開の時、客席に座りスクリーンの幕が開き、彼のテーマ曲が聞こえてきた時、それだけで泣いてしまった記憶がある。
「何て美しくて哀しい曲なんだろう……」
倦怠期を迎えた夫婦が、旅行先のアフリカを彷徨いながら、心まであらぬ方向に彷徨っていってしまうというベルトリッチ監督お得意の、「人間の心の闇にぐりぐりと突入していく」内容の映画だったが、その割に、オープニングで流れる坂本龍一の曲は、ただ美しいだけでなく、まだ映画の内容もわからないうちから何とも切ないメロディで、これから始まる夫婦の心の悲劇を、たった一撃で我々観客に撃ち込んできた。
そういう、「異能の持ち主」としか言いようのない、とてつもないクリエイターだった。それが坂本龍一だったと思っている。
話は変わって。
先月に新たな脚本の依頼があり、作業に入る前の調整を経た後、今月の始めから執筆を始めた。
守秘義務契約を結んでいるので詳細はまだ書けないのだが、契約に抵触しない程度に言えば、
聞いた瞬間に頭の中が真っ白になる超タイトなスケジュール。
「この難しいにも程がある内容を脚本にするのか」という驚き。
これが最初の会議での第一印象だった。
以来、9月に入って脚本を書き始めてからは、何しろスケジュールがきついどころか「ほぼない」に等しいほどハードだったので、来る日も来る日もこの「難作」と格闘し、一日として休む事なく、おとといようやく第1稿を書き上げた。しかしまだ第1稿が上がったに過ぎず、この後、関係各方面の人々とすりあわせしつつ(実は脚本作業全体の中では、いつもこれが一番やっかいなのだが)、修正稿を書いてやがて決定稿にまでもっていかなければならない作業が残っている。よって、一瞬ホッとしただけで、まだまだ大変な作業は山のように残っている。
シリーズ構成のみ引退したのは一にも二にも体力の限界を感じたからだったのだが、そんな私に来た仕事が(もちろんシリーズ構成の仕事ではなかったからお引き受けしたのだが)、これほどハードだというのも皮肉なものである。昔から「老体に鞭打つ」なる言葉があるが、今月の私は正にその状態で、仕事、深夜のウォーキング(昼間は酷暑だったので夜に歩いていた)、料理と食事、その後の食器洗い以外の時間は、体力温存のために常に眠っていた。そうしないと立ち向かえない、この仕事はそれほどの難敵だと言っていい。
そして話を元に戻すと。
以前から何度も書いているように、脚本を書く時、私はヘッドフォンをして(最近はヘッドフォンを遙かに凌駕する高音質のワイヤレスイヤフォンを手に入れたので、それを使って)、大音量で音楽を聴きながら書く。当然、作品の内容に合わせて聴くアルバムもその都度変える。
今回、この、いろいろな意味での「難作」に挑むに当たり選んだのは、坂本龍一の遺作となったアルバム「12」だった。
死を目前にした彼がどんな心境だったか私などには知る由もないが、このアルバムには「人間の心の全て」が満ちているような気がした。抽象的な言い方で恐縮だが、そうとしか表現のしようのない深さ、哀しさ、嬉しさ、戸惑い、失望、そして希望といった、人間がシンプルに持っている様々な感情が、つづれ織りの如く織り込まれているアルバムといっていい。
この「12」が、私の作業を常に導いてくれた。
あたかも、「十川くん、そんなに身構える必要はないよ。この脚本の世界観の中を僕の音楽と一緒に彷徨ってごらん」と彼に囁かれているような、実に不思議な感覚だった。
そして、確かに見えるのである。当初は身構えていた「難しい作品」の全貌が。「12」の効果によって、私の中に作品の世界観が満ちた。いや、本当はその逆で、「12」が私を作品世界に引き入れ、そこに満ち満ちている坂本龍一の様々な囁きが、私に作品を書かせてくれる。そんな気分だった。
お陰で、もちろん七転八倒はしたものの、最後まで集中力を切らす事なく完走する事ができた。
ラストシーンを書き終えた時、彼の声が聞こえた気がした。
「ほら。満ちてるんだよ。音楽は。どこにでも。誰の中にでも。どんな作品の中にでも」
そうなのだ。
坂本龍一の音楽は、今でも世界に満ちている。そして、私のような、音楽の力を借りないと脚本を書けないライターですら、思わぬ良き方向に彼の力で導いてくれるのだ。
坂本龍一の残した音楽は、こうして今なお世界に満ち、私たちクリエイターに静かにパワーを与えてくれる。
あなたのお陰で、難作をものにする事ができそうです。
ありがとうございました、教授。