前回の続きです。


私たちと実家の家族が会えたのは
震災から3日目でした。

完全に地区全体が孤立していたため
自衛隊のヘリに乗って
避難所になっていた市内の高校まで
連れてきてもらいました。



長女は風も音も怖がるので
ヘリに乗るとき
怖がって泣き叫び
長女を連れていた祖母は
大変だったそうです。

ヘリの中では弟が抱っこしてくれて
安心したのか落ち着いて乗れたとか。


2ヶ月の次女は母におんぶされ
ミルクとオムツ替え以外は
3日間死んだように
眠り続けていたそうです。


そのときの私は娘たちが帰るまでに
地震で壊れたお皿などを片付けたり
高校の頃の友達と避難所に集まり
炊き出しを頂いたり
不安な日々を過ごしました。


サービス業の主人は
地震の翌日からも仕事でした。
自分も被災者でしたが
娘にも会えていないのに
家族を置いて仕事を行かなければならず
その後精神的に病みました...

それはまた機会があったら
書きたいと思います。
でも今は元気なのでにっこり


地震から3日後。
ヘリが到着する時間に
迎えに行きました。
取材の人がたくさんいて
待っている人たちの感動の再会を
撮りたかったのだと思います。

でも私は泣いて喜ぶことはせず。
アッサリしていたので
周りにいた記者はすぐに私達からは
離れて行ました。


長女も私に会っても
泣くことはなかったです。
実家の家族が寂しくないようにと
長女に寄り添ってくれたから
だと思います。

母は私に娘達を返した途端
安心したのか体調を崩して
寝込んでしまいました。
本当に有り難かったし
母にどれだけの負担をかけてしまったか
感謝でいっぱいでした。



一軒家だったら
実家の家族を呼べましたが
我が家は当時2DKのアパート。
実家の5人を向かい入れる部屋はなく
母もこのまま近所の人たちと
避難所へ残った方がいいからと言い
それからみんなで仮設住宅へうつり
約2年を過ごしました。



地震後の長女は
それから続く余震も
怖がる日々が続きました。
大人でも怖いのですから
本震を体験した2歳の長女は
どれほど怖かったか。
少し揺れるたびに
私の方へ走ってきて
しがみついて怖がりました。



そろそろ保育園入園の時期が
近づいていました。
こんな状態で保育園へ
通えるのか...





ちなみに2年後に実家の家族は
ようやく自宅での生活を
取り戻りましたが
長女は怖いからと
実家でお泊りはできなく
なりました。