就学強制は消費者を学校に縛り付ける制度である。

体罰やいじめにあっても逃げることができない。

消費者に逃げる自由がない、権利がない。学校を選ぶ自由がない、権利がない。


 いじめに対するとりあえずの解決法は、いじめっ子から逃げることである。しかし、それでは問題の根本的解決になっていない、と人権派弁護士は言う。しかし、大抵の人はイジメっこからとりあえず逃げることを選ぶ。それをいじめと前向きに戦っていない、と非難することはできない。ふつうのひとは人権派弁護士のように闘うことが得意ではない。

いじめと前向きに戦え、と非難するのは2重のいじめである。


 体罰やいじめの問題は教育制度を消費者優位に変えるしかない。

いくら研修を重ねたところで体罰や、いじめは無くならない。

体罰をすれば子どもが他の学校に移る、結果として体罰をした教師の収入が減る制度にするしかない。

 いじめの問題は、いじめっ子の保護者にイジメを止めないなら退学してもらいます、と言えば良いこと。保護者は他の学校を自分で探すしかない。塾探しはそうしている。


 日本国憲法が認めている移動の自由とは、農地と一緒に売られる農奴を地主から開放する権利のことである。地主のいない新しい土地に移って暮らす権利である。

 私の考えだと、移動の自由を認めない法律は憲法違反である。

就学強制がそうだ。