私が小さい頃は毎年12月になると

どこかの局が「忠臣蔵」やら「赤穂浪士」をやっていたような気がします。

その伝統は今も脈々と繋がっていたのですね。

ぽんやりTV欄見てたらBSで「忠臣蔵」主演は長谷川一夫さんですが、雷蔵さんも出演なさっているので、失礼ながら「押さえとくか」みたいな気持ちで観始めました。

「耐えて耐えてのマゾヒズム映画」と思っていましたが、

忠臣蔵ファンの方なら今更のいくつかのエピソードがバランスよくちりばめられ、

真面目に観るととても面白かったです。

 

忠臣蔵」 1958年 (市川雷蔵27歳)

 

 

[制作]監督:渡辺邦男 脚本:八尋不二・松村正温・民門雅雄・渡辺邦男 美術:上里義三 

[出演]長谷川一夫:市川雷蔵:勝新太郎:京マチ子:川口浩:滝沢修:中村鴈治郎

 

 元禄14年 赤穂藩主、浅野内匠頭市川雷蔵)は江戸城にて勅使の接待役を命じられる。経験がない内匠頭は指南役吉良上野介(滝沢修)に教えを請うが、上野介は”ご進物”も寄越さない気の利かない内匠頭を田舎大名と侮り、作法や装束等に何のアドバイスもしないばかりか権を嵩に内匠頭をネチネチいびる始末。浅野家中も怒り心頭だが、「今日一日何とか堪えてくれ」と宥める殿様だった。

 

 

準備を終え勅使到着が告げられた時になっても「お仕着せの屏風で済ませるおつもりか、吝いのう」とまた嫌みを言う上野介に、ここ数日の疲れと緊張でとうとう内匠頭はブチッと切れ刀を抜く。「殿中でござるぞ、切れまいが。ふひひひ」と尚も嬲る上野介に切りつけ、怪我を負わせた内匠頭はろくな調べもないまま、幕府より即日切腹を命じられる。

 

突然の殿様切腹の報に国元の赤穂は騒然となる。御家断絶の危機、城内は籠城する者と離脱する者に別れた。筆頭家老の大石内蔵助(長谷川一夫)は籠城派に殉死の覚悟を求めた。そこからまた離反する者を除き数十名が残った。内蔵助はここで初めて仇討ちのハラを明かすが、嘆願書をしたため浅野家再興へも一縷の望みを繋いでいた。内蔵助は京都山科に広大な敷地を購い郎党を率いて赤穂城を空け渡す。が、嘆願は容れられず再興の望みは絶たれた。

 

 

それからは内蔵助の、家中達の仇討ちの悲願も耳に入らないか遊興にウツツを抜かし連日のように京都の料亭に繰り出す姿が見られた。町衆達も仇討ちする気概も無い赤穂浪士達の不甲斐なさに呆れ嘲笑した。

あまつさえ内蔵助は料亭の芸者を囲い妻子を離縁するという。老母も怒りのあまり妻女と共に家を出る決意をし、亡き主の位牌を手に取るが、その奥にもう一つ真新しい位牌があるのに気づく。位牌に内蔵助の名があるのを見た老母は内蔵助の覚悟を知り涙するのだった。

 

 

一方上野介の屋敷でも赤穂勢の襲撃を恐れて用心を怠らなかった。家老の千坂はるい(京マチ子)という女を茶屋の仲居として内蔵助の行状を探らせた。ある夜るいは内蔵助の命を狙い近付くが、内蔵助のあまりに澄んだ眼を見、とても命令を実行する気になれなかった。

 

 こうして一年あまりも過ごしたが、ついに江戸へ下る決意を固めた内蔵助は最期まで残った47名の血判状をとる。浪士達はそれぞれ町人や商人に身をやつし江戸を目指した。上野介の屋敷の近くに商家を装い、目立たぬよう刻々と浪士らが集まり始めた。皆、親兄弟にそれとなく今生の別れを告げて来たのだった。

 

浪士らは吉良屋敷の絵図面を手に入れ機会を窺っていたが、意外にもそれは吉良家老中千坂の手先だったるいからもたらされた。12月14日に吉良家で宴会が催される、その日が決行の日と決まった。

 

 

雪の舞い始めた市中を衣服を改めた47人は押太鼓の合図のもと吉良邸へなだれ込み、たちまち郎党らと乱闘となった。あらかた片付け広い邸内を上野介の姿を探すが、庭の炭小屋に隠れていた上野介を発見し、内蔵助らはついに亡き主の無念を晴らすのだった。 ーーー 

 

(終)

 

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>オールスターキャストの映画にありがちな、スターに満遍なくバランスよく芝居をさせる式の散漫さがなく、討ち入りまで時々涙しながら見終わりました。話がタルマナイのは脚本が4人もいて面白く解りやすく練られたからなのでしょうか。クサイ程美貌俳優だと思っていた長谷川一夫さんは、今更言うまでもない貫禄と求心力で素晴らしいです。

雷様は「浅野内匠頭」という役柄上、初めの方だけの出演ですが、少なくとも47人の侍が殉死しようと思える殿様を演じなくてはなりません。雷蔵さんの一抹の哀しさ健気さが若い殿様にぴったりです。

 

冒頭に「耐えて耐えてのマゾヒズム映画」と書きましたが、それにはちがいありません。意地悪に耐え心を知らぬ者の嘲笑にも耐え抜き、最後に”吉良家襲撃”で吉良家も世間も幕府も「アッ」と言わす、大溜飲を下げる瞬間でしょう。そして皆に「誤解してた、見直したよ」とも言わせるスキも与えず”意趣返し”のようにさっさと泉岳寺で見事ハラをかっ捌いて完結。(本作では泉岳寺へ向かうところで終わっています。)

長年「忠臣蔵もの」が廃れないのは、耐え抜いて最後に「アッ」と言わす趣向がやはり日本人心に気持ちいいのでしょうか。 …あんまし耐えるのは身体に悪そうですが。

 

>お話の中にいくつもいいエピソードがあるのですが、「忠臣蔵」の中の”勧進帳”といえる好きなシーンをネタバレにならない程度にちょっと書きます。

 江戸へ向かう街道の旅籠である侍が案内を請うと「垣見五郎兵衛」という客は既に到着していると主に告げられる。

そんな馬鹿なと垣見五郎兵衛が座敷に上がると中では泰然と内蔵助が待っている。

互いに自分が本物だと譲らない。

内蔵助は決起の際の大量の装束、武具を運ぶための用心に「禁裏御用のため江戸へ下る用人、垣見五郎兵衛」の名前を騙っていたのだった。

まさか鉢合わすとは。

内蔵助は垣見五郎兵衛に「通行手形を拝見」と。

なんじゃとオと思いつつ手形を内蔵助に見せる垣見。

そして「つぎはあなたの手形を見せて下さい」と垣見に迫られる内蔵助…!

危機一髪をどう切り抜けるのか内蔵助!! 

 

この「垣見五郎兵衛」役の中村鴈治郎さんがまたいいです。

この場面だけでも見る価値ありです。。