ミュースカイ&ブルーインパルスのブログ
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告白

好きな人へ

この手紙から僕の気持ちを受け取ってください。
実は、ぼく、あなたのことが好きです。でもあなたも好きな人がいるのは、実際に耳にしているので、分かるのですが、あの時に言おうとしてたのですが、場所も場所だったなので言えませんでした。
僕から見た君は、笑顔の表情が凄く可愛くて、質問をしたとき、君は恥ずかしそうに答えてましたよね。あの時はごめんなさい。でも君は、僕にとって、理想の女の子でした。会うたびに僕は、ドキドキしながら、君とお話しできるのが待ち遠しかったです。
僕は君のことが好きです。直接、言いたかったですけど、手紙でごめんなさい
好きな人へ、僕からの気持ちを受け取ってもらえませんか?
もしこのページを見てたら、勇気を振り絞って連絡してください。
いつでも待ってます。

最後に僕の気持ちを聞いてくれてありがとうございます。
これでスッキリしました。
好きな人へ、毎日遠くから通勤し夜遅くまでのお勤めご苦労様です。
好きな人と仲良くなって、どうか幸せになってください。
もし、結婚したら僕が一言、君へ「あめでとう」って、言ってあげます。これからも友達として仲良くしてもらえないですか?
お互いお仕事頑張りましょう。
あなたへ、一度空を見てはどうですか?空を見ても何もないそれですけど、思いはつながってます。
「空は、空は、ずっと、ずっ~と、つながってます。」
 空は、つながってます。
お身体には気を付けてください。

田辺より

あの惨劇から1年:東日本大震災

あの日からもう1年が経ちました。
2011年3月11日金曜日、普通の1日が始まった朝は何もなくいろいろと賑わっていたをもたらしていた。お昼、九州では12日に開業する九州新幹線全線開通を祝って、松島基地所属のアクロバットチーム:ブルーインパルスが博多の空を予行演習のため空に舞った。この時僕は、学校から戻り、昼食をとり、なにげにTVを見ながら仮眠を取ろうとした。今日も何もないだろうと思ったが・・・
しかし・・・
14:46:18 深さ24km M9.0 三陸沖
この地震が東北、東日本、いや日本を大きく激しく揺らした・・・
まさか東北の地震が岐阜県まで大きく揺らすなんて、それほどの巨大で大きな地震が東北で起きてるんだなと驚きがあり、関東までも激しい揺れをもたらした。東京の高層ビルは長く横に揺らされ立ってられないほどの揺れだった。
岐阜県の自宅は、大きく長く横に揺らされものが落ちる心配があった。
そのころTVは、緊急地震速報を東北だけ流した。そして、緊急ニュースに入った瞬間、東京が強い揺れに襲われた。いつもない揺れだった。
この揺れで多くの人が恐怖に陥った・・・僕も恐怖に陥りました。
それから画面が切り替わり、流れたのは大津波警報だった。
その大津波警報が、東北の太平洋沿岸部だった。時間に経つにつれて、青森や茨城、千葉、北海道そして、
太平洋沿岸部に大津波警報を出した。
この地震の2日前の3月9日も地震があり、津波が50~90cmの津波が襲ったが多くの人は、何もなかったよう感じで過ごしていた。一昨年の2010年2月28日のチリ地震で発生した津波が東北に1.50cm
の何が襲ったが多くの人が普通に過ごし防災意識が薄れていた。
この津波もきっと大したことはないだろうという安堵感があり、多くの人は、地震で倒れたものを片付けていた。その頃TVでは、各地域のカメラが沿岸部を移していた。気仙沼、釜石、宮古など移していた。だが東京では、ビルが燃えていたり駅前では多くの人が孤立していた。色々と報道していたが
しかし、誰も想像もしない波が街を襲い何もかも奪った。
釜石の映像が入ってきた瞬間、さっきまでの波が明らかに違った。その波が岸壁を乗り越え街に入り始めたのだ、映像が切り替わり大船渡の映像も入ってきた。波が川をさかのぼり始めたのだが、再び映像が切り替わり宮古の映像が入ってきた、水産関係の物が流し始めたが、また映像が切り替わり釜石の映像が入ってきた。それは、考えられない映像だった。車が水没していたが、波が徐々に波のいきよいが増してきて、漁船を流し始め街へ向かった、その瞬間家も流し始めたのだ、もう言葉に表せなかった・・・
夕方、ヘリコプターから仙台平野の映像が入ってきた。その映像は、川を遡上した映像だったが、カメラの位置が変わった瞬間、黒い波が畑や家を押し流し奥へ奥へと流した。
この津波で多くの人が亡くなった。街がなくなった。希望がなくなった。
多くの人が高台へ避難し、津波が街に入ってきた瞬間
「ウソだろ・・・」と言葉を失う人
「早く逃げろ!!」と必死に叫ぶ人
「収まってくれ!!やめて!!街を壊さないで!!止めてくれ!!」とふるさとの街が消えていき泣き叫ぶ人
「何が防波堤だ!!何が防潮堤だ!!」と悲痛な思いで叫ぶ人
必死で逃げた人もいたが、津波に飲まれ溺死する人がありました。
その後津波は何波も街に襲いました。
いろんなところで街が浸水もう何もありませんでした。
仙台空港も水没した映像もありました。
原発も波でやられ電源が失くなったという報道もありました。
夕日が沈み、夜に深まり寒さが厳しく、電気がない1日を過ごす被災地。
関東では、鉄道がストップ、いたるところに人が溢れたり車が溢れたりする東京 
大変なことがあった1日になった。
報道も各地で被害を伝い始めた。しかし信じられない映像が目に飛び込んできた。
気仙沼が、火の海になっていた。信じられなかった・・・言葉がない・・・
そんな、3・11だった
今日、特別な思い出1年目を迎えた。
復興は、未だ進まず。がれきだけが残っているだけだ。原発も未だ収束せず。人が消えた街だけが残っているだけだ・・・
みなさんは、14:46 どんな思いで黙祷しましたか?
私は、悲しみの思い出、みなさんに捧げました。
消して忘れることのない大震災、人々が必死になって復興していくことを祈っています

最後に被災地のみなさんにこれをお届けします。
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この写真は1枚目は去年のこの日と同じ天気でした。みなさんのあの日の天気はどうでしたか?
寒くて寒くて悲しくて悲しくて、過ごしたのではないですか?
もう一枚は、希望の光です。
希望に向かって頑張って復興してください。私も応援します。

つながろう東北!!
がんばろう東北!!
がんばろう日本!!

卒業

全国の卒業生のみなさん。
被災地の卒業生のみなさん。
ご卒業おめでとうございます。
私も2月28日に名古屋市の私立工業高校を卒業しました。

私たちのクラスも笑顔で旅立ちました。
みなさんの仲間はどう過ごしましたか?
楽しく過ごせましたか?
みなさんは4月からいよいよそれぞれの生活が始まります。

そのためにみなさんにお伝えしたい言葉があります。
一つめは、本気になること!
人間は、能力・筋力・体力があります。
この3つを使うことを仕事といいます。
だから本気になって、挑戦してください。考えてください。成功するまでやり遂げてください。
この本気の元は、小惑星探査機:「はやぶさ」と同じ仕組みです。
なぜか?
それは、諦めないことです。
はやぶさは、必死に地球に向かって小惑星のサンプルを届けました。
大気圏で燃え尽きたはやぶさは、多くの人に感動を与えました。
みなさんも必死になって、努力し社会に貢献できる人材として頑張りましょう。
私の4月から社会人として頑張ります。いろいろありますが、一生懸命に会社に貢献でくる人材として日々努力していきます。

そして被災地のみなさん、暗い日々がまだまだあると思います。
でも、復興はし続けているのです。
あきらめないでください。

きっと良い日が来ると思います。
その日まで我慢してください。

皆さんが夢へ飛び立てるよう祈っています。

つながろう東北
がんばろう東北
がんばろう日本
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