今回は前向きなお話しをしてみようと思います。

※決して痛みや苦痛を負う事が全てではないことをご承知おきください。

【命を掛けている仕事人】【痛みに耐えうる事が勝利を生む仕事人】

体を張って仕事をしている人、格闘家、大相撲、ギャンブルレーサー等は、

命を掛けて挑んでおられますよね。

怪我をしてしまうと窮地に立たされる。それは相手にとってはチャンスとばかりに狙われます。

また運が悪ければ命を落とす事にも成りかねません。体を鍛え、イジメ抜き、それでも魅了される何かが

それらの仕事にたずさわる人にはあるのでしょう。尊敬します。そこには究極の痛みに耐える事を要求され

ますよね。しかしある限界を超えてしまうと、その痛みが慢性化してしまい、選手生命を奪われる方も

居られます。精神+肉体+苦痛に耐える~治療などとは違い、苦難を選びそれに向かう心粋を尊敬します。


【痛みがなぜ究極なのか?】

ブログには以前から何度も記しておりますが、ヒトの感じる苦しみの代表格は、

・痛み

・呼吸苦

怪我にしろ病気にしろ、痛みや呼吸苦はレッドシグナルです。

例えば骨折を例えてみましょう。骨が折れるということは、親不孝にも勝る劣らずの痛みだとも言われます。

医学の進歩、そしてヒトの持つ治癒力は素晴らしいもので、元通りとまではいかない場合もありますが、

多くの場合には骨折部位の治癒と共に、痛みも消え去ります。また真面目にリハビリテーションに挑めば、

機能的なものはほぼ回復します。

次に呼吸苦。喉にモノを詰まらせて呼吸ができなくなる、一酸化炭素中毒、呼吸器系の病気によるもの、

痛みだけで死ぬことはありませんが、呼吸苦は命をも奪う事すら起こりえます。呼吸苦は我慢とか

精神論で耐えるものではありません。唯一は救命救急の力を借りて助けてもらうほかありません。


【誰しもが苦痛を知っているはずなのに‥】

痛みと呼吸苦という代表例を挙げました。

誰もが苦痛を伴うものとわかっているはずなのに、どうして「痛み」が認知されないのでしょうか。

人は生まれてから今に至るまでの間に、どのような痛みを経験しているのかで、

痛みに耐えうる限界が人それぞれに異なるだろうと想像します。

二日酔いの頭痛、転んだ時の痛み、殴られた時の痛み、オートバイで転倒した時の痛み‥

日常生活をしている上で、痛みを完璧に防ぐことはとてもむずかしい‥なぜならば、

格闘家や大相撲の方のように、直接に痛みを発する超越した世界に生きる人とは異なり、

多くの一般人は、痛みを負う事に対して構えができないのも、痛みを負って苦しむ一因だと思います。

自己治癒力により多くの痛みは軽快していくはずなのですが、ごく稀に、悪化の一途をたどる場合がある。

ごく稀なのですから、痛みの異変のようなものが大きく取り上げられる事もありませんし、

痛み=病気や怪我がある と思われてしまう事が殆どであり、このような痛みの悪循環については、

いまだに治療法が見つかっていないということも積極治療が存在しない現実となって、

慢性痛を負う人の悩みの種になっていることは明白です。

しかし数十年単位で見てみれば、命に関わる疾病による痛みに対しては、ホスピスという形が

患者の権利として認められるようになった事は、いまだに不治の病で苦しむ方にとっては、

救いの神になったのではないでしょうか。


【痛みをどう捉えるか?】

痛みは目に見えません。それを負う本人だけが苦痛に打ちひしがれるものです。

ここ数年は、病名ありきという形に変化している様子で、原因不明の痛みがひとくくりにされているような

印象を受けます。皮膚に風が当たるだけでも激痛を感じるというCRPS(反射性交感神経ジストロフィー) 

を負う人の痛みを想像できますか?この辺りまできてしまうと、精神力だけで

何とかなるものではありません。

しかし日本は前述したように、命に関わる痛みを負う患者さんに対しては、ホスピスケア-が具現化、

今はそこまでやっと辿り着いたんですね!というところです。

わたくし的な話しをすれば、自分が子供の頃に、叔母がガンに冒されて苦しみながら死んで行った光景が

今なお脳裏から消えずに心に残っています。


【痛みと治療の現実】

医師も決して手をこまねいているわけではないと思います。痛みの悪循環が何故起こるのかが

いまだに原因不明であるからに、治療法も確立されていないと聞いております。

一部には運動に類する神経組織でなければ、神経破壊等により、痛みを遮断する治療は実用化されて

救われる患者さんも多くなってきたのではないでしょうか。

しかし現実はそれほど甘くはなく、適切な医療機関にたどり着くことすら困難な場合が殆どだと感じる。

国や自治体、そして世間一般という大枠が「痛み」を特に重要視していない感も否めないというのが

本当のところではないか?と思うのです。

 今までネットを通して多くの重度の痛み患者さんと交流してきました。中にはさらに病が重なり、

連絡すら取れなくなった方もおられますし、また一方で、延々と対症療法の中で体を壊すことを嫌い、

痛み治療から脱した方もおられます。医療側の方は、思うに対症療法が命を脅かす事になるならば、

痛みの治療が不可能という答えになったとしても、患者の命を優先するだろうと想像する。

逆に痛み患者側は、リスクを負ってでも、痛みを軽快させる術を願いしたい!と、ここでずれが生じる。

病気や怪我のシグナルでもある痛みを強制的に止めてしまった時に起こるだろうリスクについては、

あまり語られることもなく、また痛みを緩和させることで起こる副作用についても、あまり聞こえてこない。


【痛みは人生を奪う】

どの程度の痛みにまで耐えられるか?人それぞれにレベルが異なるだろうと思います。

例えば怪我で重症を負った瞬間は、色々な事がパニックのような状況の中で感じることができなくとも、

搬送されて落ち着くにつれ、負傷の現実や痛みという感覚が襲ってくるわけです。

入院、手術、加療を要すことになり、余程でない限りは、病院を脱出して仕事ややりたいことに向かう人は

そう居ないでしょう。

歴史の教科で習った「戦争」などは、私には心及ばぬ程の恐怖、苦痛、忍耐を要したものだっただろう~

勇敢なその時代の方々が行動され、今の日本が存在する事をわすれてはいけないと思う。

戦争に行かれた方、また戦争時代に思いが記憶にある方は、こころざしとして、

恐怖、苦痛、忍耐を強いられた方々を重んずる心がある。人が人を思い、自己犠牲をいとわない‥

それの正否はわかりませんが、心から思いやる、心から願う気持ちが当時があったのだろう。


病気や怪我は誰しも好みません。

運良く治る人も居れば、重症化する人もいるのだし、

例え国の施策に、福祉重視の考えが手を差し伸べてくれるようになったとしても、

痛みそのものが変わるわけではない。

おおむね、苦痛に耐えるだけで一杯になり、多くの事を諦めるしかない道に迷い込んでしまう‥


【どうやって痛みから脱しましょうか?】

ギャンブルレーサーやオートバイ、自動車レースの選手などは、一見華やかに見えますが、

大なり小なり負傷跡が後遺症として残り、苦しいのにそれでも続けている選手も多い事をご存知でしょうか。

当然に痛みという苦痛を我慢しながらとか、麻痺しているにも関わらずレースに出場する勇気、

表には出てこない苦労談がもしも もっと知る事ができたなら、

痛み患者さんへの勇気になるかもしれません。


ものを思い切って捨てるではないが、痛みに苦しむという意識をどこかで捨てられないだろうか?

好きなことに没頭すれば、痛みを忘れると言われる事もありますが、

それはある程度の痛みレベルでの場合に過ぎないと思います。

自分も一度はほぼ完治するのを目の前にまで頑張ってきました。もちろん手探りと運でしかなかった。

そこで、今回は再度、無理と周囲から言われる体を推して、痛みに立ち向かってやるぞ!2度目だが~

と一念発起したわけです。疼痛克服に努力した過去には、転落事故、骨折、靭帯損傷、大火傷、

意識不明、体力的に弱ったところに祟り目には肺炎、インフルエンザ、血圧異常、etc

色々なことが自分自身だけでも起こりましたが克服。

あわよくば痛みの無かった頃に戻りたいからと心の奥底で思うから、二の足を踏む自分も居るのは

確かだと思うようになった。



今ならまだ間に合う!

でも医療福祉を含め、理解を得る事はかなりの難関。

それでも進むことを止めない事こそが大事かなと。

痛みは苦しいです。しかし身体が麻痺することは苦痛とは異なる意味で、もっと苦しい事だと思う。

重症の疼痛患者が集うメーリングリストが解散になってから皆どうしているのだろうか。

そして自分は今からどう前向きに歩む?

「頑張る」!

この一言、この気持ちに勝るものはないことを信じたい。

自分が苦しむ事で、家族も苦しむのだということを忘れてはいけない。

痛みを隠してでも、再度復帰を目指そうと決めました。

一度の人生ですから、自分は痛みにより生涯病人のような生活は嫌だと思った。

主治医にもこの気持ちを伝え、協力を得られるか話してみるつもり。

負けない事!

お粗末さまでした。

そしてお大事に!