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今回の記事、
あのことかな…?と
予想されるかもしれませんが
それ“も”通して考えたことであり、
その人たちや周りの人を
非難する意図は
全くありませんので
ご了承ください
実家から離れて(近いけどね)
一から家庭を築き
子どもを産んで
最近のコロナ関係のことも含め
改めて考えたこと…。
親として他関係より深く強い繋がりを持つ
子どもの側に
できる限り心身共に寄り添い
言いたいことを言える、
重要なことだから言える関係性で
あること
また、そういう関係性が親子で築けなかったときは
他の人(親戚・友人・恋人など)と築けるように
色んな人と対等な
コミュニケーションをとれるよう、
普段の育児でできることはしていく
夫や私はもう立派な大人ですが
子どもは今所属している世界が、
彼らの世界の全てです。
自宅保育の子は自宅(現在の我が家)、
保育園などに通っている子は
保育園・幼稚園・こども園と、
学生は各種学校…。
社会人になって視野が広がり、
自分の所属している様々な場所に
足をつけてのんびり生きていけばいいと
思えるようになると思います。
子どもが自分で、
(学校が嫌なら家にいて
家が嫌なら帰るだけにして学校が自分の居場所なんだ)
と考えられるとはあまり思えません…
となったら親が子どもにできることは
何でも話せる関係性を作ることが一番なのかなと
思います。
命について、どこまで…?
なにかあったときの
救命措置はするのか、
するとしたらどこまでするのか。
新型コロナだけではなく
私たち人間には
様々な死のリスクがあります。
コロナのように感染症だけでなく
その他の疾患、交通事故など…。
実際に自分の周りに
そうなって亡くなってしまった方や
医療従事者は
そのような場合があることを
認識していらっしゃるのですが
そのときに、どこまでするのか…。
いわゆるDNARのことです
上記リンクから
スクリーンショットさせていただきました
↓以下三枚の画像
拒否だけではなく
「ここまではしてほしい」
と希望することも可能です。
私には1歳と0歳の子どもがいて
その子たちは勿論
死と、そこまで到達する様々な過程を
理解できていませんし
本人の意思を聞くのも100%無理です。
腹を痛めて産んだ子なので
万一そうなってしまっても
(100%無理な状況でも)
精一杯の救命処置をお願いしてしまうかもしれません。
ですが、
私たち大人は
自分達で考えることができます。
実際、第二子妊娠中は
エンディングノートを書きました。
そこらへんも含めて
子どもたちでなく
パートナー、親戚を困らせることなく
自分に関する選択をしてもらえるように
考えていかなければな、と思います。
またもやとりとめのないブログに
なってしまった
最後までご覧いただき
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