普段言えないことってあるじゃないですか?
社会的な立場や、人間関係(家族含め)や、自分のやっていることに
対して正直に自分の気持ちを口にするだけで、はみ出し者扱いされちゃうとか。
常識ないとか。めんどくさいやつだとか。
立場や生活やキャラを守るために、閉じ込めた言葉は一体どれだけあったでしょーね。
自分の実感としては、歳を重ねるにつれ失う言葉は多くなってきてる。
まあ歳がどーだこーだなんていうのは生意気なのかもしれないけど、
ここでは言わしてください。生意気承知で、思っていることをつらつら
書いていきたいと思います。
批判も同調も、なるべく客観的にとらえたいと思っています。
偶然このブログへたどり着いた方、自分の文章みてなにか意見をもたれたら
コメントしていただければ嬉しいです。
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今大人になって、子供時代の自分を思い出し思うこと。
一言にまとめると、「変わり者」。
別に自分を、ちょっと個性的で目立ってたんだぜ!?って誇張してる人と勘違い
しないでもらいたい。
みんながかわいい・かっこいい・おもしろい・楽しいということに全く同調できなかったし、
むしろ「何がいいんだろう?」と疑問に思うくらいだった。
授業で絵書いたり作品作ったり、作文書いたり、なんらかの感想を発表する場ってあるじゃないですか?
特にそういうのは小学校のときが多いかな。
もうなぜかわからないけど、自分だけみんなとは全く方向性の違うものができあがるよね。
いやもう先生の指示もちゃんと聞いて、自分の心の声に従った結果そうなるんですよね。どうしても。
なんでこうなるんだろう?って当時も色々考えました。
どっか心の奥底に目立ちたい欲求があって、無意識に人と違う行動取ってんのかな、って
どうなの自分?って問いかけたこともあったけど、やっぱりよくわからないし。
わざわざ書くまでもないけど、学校では浮きまくりだったし仲良しって呼べる友達はいなかった。
で、そんな自分を納得させるために、
「自分はみんなと違うんだ」
って思いこませてたら教室で更に浮く。まあ軽くいじめの対象にもなる。
田舎の学校だったからそういうの悪目立ちするし、なにより陸上競技やってたのが更に輪をかけたかな。
なかなか小学生で陸上競技に命かけてる子っていないですよね。
別に小学校に陸上クラブがあるわけでもないのに。
通信簿の担任の一言欄には必ず「マイペース」って書かれた。
でも。でも!!
それって悪いことではないよね、って今でも問いかけてしまうんですよね。
協調性がないってことは、悪なのだろうか?
好きなこともできず楽しいとも思えない同級生との遊びをなぜしなきゃいけなんだろうか?
人と違う意見や物作ることでなんで笑われなきゃいけないんだろうか?
まあ、そこで人づきあいってものをを覚えるんだっていう意見は認めます。
でもね、幼稚園・小学校・中学校の時期って、そこでしか得られない経験っていっぱいあると思うんですよ。
私は周囲との調和って部分の経験が欠落しすぎてたかもしれないけど、
みんなおーんなじ顔しておーんなじことしか言わない同級生の人たちは、
自分の意見を言えないことで本人の個性がそぎ取られちゃってるんじゃないだろうか?
とも思うんです。
簡単にいうと
自分:ハリセンボンの針Max状態。荒い。周囲を意識しない。
みんな:ハリセンボン針無しまんまる。おだやか。なにより調和を大切に。
的な。
どっちも両極端ですよね。
中間をとれる柔らかさやしなやかさがあれば色々うまくいったのだろうなと思う。今さらだけども。
それで今の私はというと、かぎりなくハリセンボン針無し状態に近づいていってます。
それはやっぱり社会的な立場からのこと。
楽に社会を生きていくためには針なんか持ってない方が楽ですからね。
ただ、子供のときの自分の考えが今の自分を突き刺すんです。
「なんでこいつら向上心がないんだろう、みんなと一緒のことしてる間に周りに抜かされるんだぞ」
ってね。
陸上だって仕事だって恋愛だって友人関係だって、刺激(=針)がなきゃ考えたり悩んだりしないし
前には進まない。
前に進むためには、時には針をもって自ら敵に体当たりするくらいの勢いが必要なんだ。
子供の時の自分と、今の自分を足して割りたい気持だ・・
いや針が6割くらいの方がいいかな。
いまだにバランスのとり方が下手な私ですが、
ひとまず、陸上をやめた今はチカラを注ぐものは仕事なので資格の1つでもとって針を増やしたいところです。