意識がある。意識がない。
意識とは何であろうか。覚醒している、起きている。自分が行っていること等を認識することであるようだ。自分が行っていることを認識しているとは、どんなことだろう。例えば、歩いていることを認識して歩いている場合が多いだろう。歩いていることを認識しないで歩くことはなかなか無い。しかし、歩いているということを不意に忘れることはないだろうか。例えば、考え事をしているとき歩いているという状況を忘れ、考え事に夢中になることもあるだろう。その場合、意識が考え事の方に向いているのであろう。ここで言うところの意識というのは、認識であるのだろう。歩いているという事実が認識から外れ、別の方向に認識が注力されたとき、歩くという動作が無意識下になるのだろう。このように意識が逸れている場合、逸れる前には意識下にあったが、逸れた後に無意識になってしまう場合がある。
しかし、意識が逸れるとかは関係無しで行っている動作もある。不随意運動は無意識で行える運動だ。呼吸、心臓の拍動、胃や腸の蠕動運動などは寝ていても勝手に出来る運動で、無意識下でも出来る。しかし、無意識と言う言葉を使う場合、前者のような状態で使用される場合が多い。不随意運動は無意識であることが前提になっているからだろう。ここで言っている意識というのは認識に該当していると考えたが、認識が存在するしないは外観から伺うことは出来ない。どれほど無意識の行動が存在していても、他人からは無意識であるのか意識的であるのかは分からない。さらに言うと、意識的であること、無意識であることの二つが存在しているが、もっとグラデーション表現が成されてもおかしくはないように思われる。五割意識、八割意識などだ。私は歩いているときはおそらく2割意識くらいの意識を用い、5割意識くらいは目的地到着後、3割意識くらいは周囲の環境に使っているような気がする。
無意識に戻る。