気がついたら・・・

 

 

入院での、移植待機を始め手から、2年が過ぎてた。

“あっという間”という言葉で片付けられない日々だった。

 

登録をしてから、一年を過ぎた頃に、主治医から打診された、

「入院療養をしながら、移植を待つ事。」

 

コロナ禍というモノも相待って、精神的にはとても辛い。

面会は全面禁止だしね。

 

入院してからは、喘息のコントロールも上手くいき、プレドニンの内服を

せずに、吸入だけで済んでる。

 

LAMの臨床個人調査票にも、気管支拡張薬系の記載欄が

あるから、標準治療になってきたのかしら??

 

2年前の7月。

私は、とにかく「安静が必要」と言われ、身体を休める事が仕事だと。

それだけ、家に居れば、あれやこれやなんやかんや、動いてしまう私。

自覚は無いけど、気が付けばキャパオーバー。

こんなんじゃ、いざ移植の順番が巡ってきても、移植を受けられるだけの

体力が残されてないだろう。という判断だったのでしょう。

実際、家族と離れて寂しいとは思ったけど、どこか、

安心した自分がいた。

“これで、頑張らずに済む。休める。“

そう思ったのだ。

 

それがいい事なのか、悪い事なのかは、別にして。

移植登録以来、無意識に避けていた、自分自身の心と向き合う時間をもらった。

 

そこで私は、色んな感情を体験した。

 

こんなに、死を身近に感じたのは初めてかもしれない。

胸膜炎を起こした時も、敗血症になった時も、遠くの方で手招きしていただけの

“死”が今はとても近くにいて、手を引かれている感じ。

 

これは、本当に怖かった。

 

今は、なるようにしかならん。って思ってるから、なんとも無いけど。

 

それだけ、大きな事を課せられてるのか。

そう思って、焦ったりもした。

 

何を基準にするかは、人それぞれなんだと思うけれど。

 

私は、なんのために頑張るのか。

 

考えて考えて、出した答えが、

“HOTなしの世界が見てみたい“

だった。

 

もうね。

HOTなしの自分の姿が想像できんのよ。

夢の中ですら、私はHOTをしているから。

 

夢の中のmikeがHOTをしていた時は、ショックだったなぁ・・・

夢の中だけでも、自由で居たかったのに。って・・・

 

折に触れ、目にするCTやMRIの画像を見ては、ショックを受けて。

よくこんな肺で、歩けてるな。とか、やっぱりどこか他人事のように

眺めたりもして。

 

そんな中でも、私が私を見失わずに済んでるのは、

主治医を初めとした、医療スタッフや緩和ケアチームの存在が大きい。

 

そんな方々への恩返しは、私が元気な姿になる事。元気に退院して行く事

なんだろうな。

 

そのために、私は自分で出来るを頑張るのみ。