104人の大和魂 No.39 徳川吉宗➂ 刑法改正 切り捨て御免   | 社長力検定「後継者育成塾」

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 「公事方御定書」71条に斬り捨て御免の

ルールが定められていた。テレビの時代劇の

ように「勝手に斬り捨ててよい」という無

責任なものではない。次の2つのケースし

か許されていなかった。

無礼を受けた場合「無礼討ち」ができたが、

町人が謝ってくれば、斬ることはできなかった。

2つ目は、命の危険性にさらされた時の

「正当防衛」である。

「斬り捨て」を実行した場合、すぐに奉行所

に届け出なければならない。届け出後、

人を殺めたことを反省させるために20日

以上自宅謹慎させた。刀も重要証拠として

取り上げた。目撃者の証人を立て、奉行所

の役人が納得する説明が必要とされた。

証人を立てるのに、だいぶ苦労した。

証明できなければ詮議(裁判)のうえ、

打ち首・お家断絶となる。

詮議の結果を待たずに自害するケースが

圧倒的に多かったという。お家断絶とは、

身分・領地をはく奪されることだ。

肉親を路頭に迷わせることになり、

実際に「斬り捨て」事件は、ほとんど

発生していない。リスクが余りにも

大き過ぎたからだ。

 

「縁座の刑」

享保9年(1724)の法令は、縁坐

(責任範囲)を主殺し、親殺し、

および格別重い科の者の子に限った。

さらに元文2年(1737)、その範囲を

主殺しおよび親殺しの罪人の子にとどめた。

石の上に正座させて膝に石を置く、

「石抱き」、後ろ手に縛った縄で身体を

「釣責(つるしぜめ)等の拷問は、証拠や

共犯者の自白がある場合に限定した。

密通した娘と相手も殺して無罪という

判例を見直した。吉宗は、刑法の改革者

として事績を残した。

吉宗は、長兄、三兄(ニ兄は早世)を

暗殺して紀州藩主になり、さらに将軍位

のライバルになる尾張家藩主を次々に毒

殺したという俗説がある。小説しては

面白いが、命を大事にした将軍が殺人

まで犯し、トップになったとは考えづらい。

殺人鬼であれば、いつか化けの皮が剥がれ、

その正体をさらけ出すはずである。歴史推理

の筆者が事績を調べた限り、犯罪者の可能性は

ゼロである。吉宗の兄らは病死、尾張家は藩主

と反対派との対立抗争での「同士討ち」である。

吉宗は、天が選んだ将軍と言えよう。