元号が昭和から平成、平成から令和へと変わる中で、
採用で「学歴不問」をうたう企業が増えて来たと言われていますが
正直それは単なる企業側の「建前」でしかありません
昭和と比べて、令和の時代は、
「情報化社会」と共に更に激しい
「学歴社会」へと進化を遂げていることが分かります
例えば「社会で活躍」を、
東証一部上場企業や外資系企業などの「有名上場企業の総合職に就職」とするならば、
学生時代の「学歴」の取りこぼしが、一生引きずる程の、
戻ってこれない「失敗」につながってしまいます
「偏差値」を「価値の数値化」として置き換えて考えてみましょう
上場企業の採用担当者として、2人の学生と向かい合った時
ひとりは、学生時代の最終学歴が、「偏差値68=上位3.8%」
もうひとりは学生時代の最終学歴が、「偏差値50=上位50%」
全く同じ年月を過ごして来たにも関わらず、
ひとりは上位3.8%のごくごく限られた学生しか獲得できない、
価値ある大学合格を獲得した成功体験を持っている学生
ひとりは全受験生の平均程度に取り組んでいれば簡単に獲得できてしまう
価値の乏しい大学合格に甘んじることしかできなかった成功体験の無い学生
・競争に勝って価値ある合格を手に入れた学生
・競争の発生しない余りモノ的な合格しか手に入れて来なかった学生
単純に「学歴だけ」を比較した場合、
一体どちらの学生を、採用したいと考えるでしょうか
企業から見たら、新卒採用〜戦力化までに実際に支払うお給料以外にも
膨大なお金と時間と労力がコストとしてかかるのです
学歴というものは、
履歴書として示せる信頼性のある「人材クオリティ」の指標でもあります
この視点から見た時、明らかに高い価値の大学合格を獲得して来た学生の方が
社会人になった後も、
同じ年月で高い仕事の成果を出してくれることを、
想定しやすいのでは無いでしょうか