私恥ずかしながら・・・日本は連合軍に占領されていないと思っておりました
私が育った横須賀は
風光明媚で、アメリカ軍の基地もあることから
特に同じ米兵でもfriendshipといって
日本人に怖い思いをさせないで優しく接すると教わった人たちが
上陸しているのもですから
お友達感覚で
米兵のpartyにも呼ばれ
アメリカにも自費で渡米いたして
空軍基地内のホテルに泊まった事まであります
しかし・・・私が生まれるずっと前に
占領されていた時代があったなんて
両親からも聞いたことございませんでした
昨日泊まりに行ったお宅で丁度ニュースが流れ
終戦記念日って色々言われがあるって知ってる??
と言われ知りませんでした。。。興味がなくって
と話ましたら色々と教えてくださりました
後、先週だったかしら・・・丁度私が読者登録させていただいているkonnitiwaさんのブログの中から
占領軍に侵されていた日々の国旗の事や色々リンク先だったかも知れませんが
読まさせていただきました。それをリア彼に当てはめましたら、1052年生まれなので
自分は一体占領下生まれかどうか気にしておりましたpppおめでとう・・・と笑っちゃいます
http://ameblo.jp/konichiwa/
http://ameblo.jp/konichiwa/
するとまさにタイムリー!!!
詳しく載っているではありませんか!!!
思わずコメントマデしてしまいました・・・
しかしながら、私の両親が知らないことを
1043年~1956年生まれの方が4名いらしたので、昨日教えてくださったことから検証してみました
忘れないうちに・・・野菜の収穫すごかったです・・・ご飯を全て畑からの物で賄えました・・・
おいらここのうちに嫁に行きたいですよ・・・
裏には竹藪があり
探検してきました
小川のせせらぎも聞こえました
ハーブで冷製カッペリーニも作りました
どう見てもイタリアンを作っているのに
なぜがお姉さま方は・・かわいらしくって
フレンチを若い人が作ってくれたっておっしゃって喜んでいただきました
なぜ???あら古希やあら環たちは
フレンチと洋食の事を云うのでしょうか????
分かり易くて可愛いですが
皆様がお元気の間に少しでも歴史的認識を
高めていきたいと思います
忘れてはいけないことだけは
良識と
節操と
見た目はどんどん進化して行きますが
忘れてはいけない何かをそっと守っていきたいと思います
ちなみに下はWikipediaからの引用です
終戦記念日で調べました・・・
日本国内
日本において第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)が終わった日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
1. 1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
2. 1945年8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
3. 1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
4. 1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。イギリスやアメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー(Victory in Japan Day)」と呼んでいる。国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多い。
現在の日本では、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日や終戦の日と称し、政府主催の全国戦没者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。
4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。一方、沖縄では、この日以降も1972年5月14日まで、アメリカ軍による占領が更に20年も続いたことから、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人々もいる[1]。
歴史 [編集]
1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。
1945年8月15日正午(グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えた[2]。
1945年8月16日、日本軍部隊への正式な停戦命令が行われたが、これ以降も大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止する為の戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた。また、戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。また、沖縄の久米島では、日本軍による住民の殺害(久米島守備隊住民虐殺事件)もあった。これらの戦闘は、8月下旬になると、概ね終結した。
1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が、降伏文書に調印し、即日発効した。1951年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印された。そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日をもって、国際法上、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結することとなった[3]。
法律 [編集]
引揚者給付金等支給法(昭和32年[1957年]法律第109号)は8月15日を終戦の基準とし、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和42年[1967年]法律第114号)は8月15日を「終戦日」と呼んでいる。1963年5月14日の閣議決定により同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。1982年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われており、お盆は月遅れのお盆と一致することから、お盆=8月15日となっている。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について(昭和57年[1982年]4月13日閣議決定)
1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2. 期日 毎年8月15日とする。
3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年[1963年]以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙 全国戦没者追悼式の実施について
1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年(1981年)の式典と同様とする。
3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。(全国高等学校野球選手権大会の会場でも、正午の時報直前にプレーを中断し、選手・観客らが1分間の黙祷を捧げる。3試合の開催となった2010年は正午時点で1試合目と2試合目の間のグラウンド整備が行われており、12時10分のプレイボール直前に黙祷が行われた)
地上戦が行われた沖縄では、6月23日に組織的な日本軍の抵抗が終結した。このため、現在、沖縄県では6月23日を慰霊の日として休日としている。アメリカ軍による正式な沖縄戦の終結宣言は7月2日であるが、沖縄征服は6月30日と記録している。しかし、その後も日本軍による抵抗は続いた。9月7日、南西諸島守備軍代表は、嘉手納の米軍第10軍司令部で降伏調印し、沖縄戦は公式に終結した。このため、沖縄県の公式慰霊施設である平和の礎では、沖縄戦終結の日を9月7日としている。
学校教科書 [編集]
小学生用社会科教科書や中学生社会科教科書(歴史分野)の多くは、終戦の日を8月14日か8月15日と記しており、9月2日については言及していない物もある。又、サンフランシスコ講和条約については、締結日の1951年9月8日について言及しているが、発効日の1952年4月28日には言及していない物もある。
しかし、高等学校日本史教科書の多くは、終戦の日を9月2日としている。8月14日は「ポツダム宣言受諾が決定され連合国側に通知した日」、8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」と記されている物が多い。例えば、高校日本史教科書の山川出版社の詳説日本史では、以下の記述となっている。
『昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国側に通告した。8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した。』[4]
日本国外 [編集]
9月2日を「終戦の日」とする国家 [編集]
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいる。当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、ポツダム宣言に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。
アメリカ:1995年9月2日には、対日勝戦50周年を記念して、記念切手が発行された。ただし、州レベルでは8月14日や8月15日とされることも多い。
カナダ:2005年に、勝戦60周年を記念して、「Victory 2-9-45」と刻印されたメープルリーフ銀貨を発行した。
フランス:2000年に、終戦記念日(フランス語: Fête de la victoire de 1945)である5月8日のVEデーに、反ファシズム戦争の勝利55周年を記念してイベントが開催された[5]。2000年9月2日に、対日勝戦55周年を記念する式典が、フランス国防省主催で行なわれた[6]。
ロシア:2010年、9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」に指定した。この他、独ソ戦の終結日である5月9日を「大祖国戦争終結記念日」(祝日)に指定している。
9月3日を「終戦の日」とする国家 [編集]
ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日勝戦記念日は9月3日だった。これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日勝戦祝賀会が行われた事に因んでいる。ロシア連邦では、ソビエト連邦の対日勝戦記念日を引き継いでいるため、9月3日である。
中華民国(現台湾)と中華人民共和国では、旧ソ連と同じく、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれた。
ただし、支那派遣軍岡村寧次司令官が中国国民政府と降伏文書調印した9月9日や、日本の終戦記念日である8月15日を対日勝戦記念日とすることもある。
8月15日を「終戦の日」とする国家 [編集]
大韓民国では8月15日を「光復節」と称して、日本による朝鮮半島統治からの「解放」を祝う日となっている。北朝鮮も同様に、8月15日を「祖国解放記念日」として祝っている。
備考 [編集]
ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8月11日に撮影されたものだという。この日、「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を打電した内容が新聞にスクープされ、正式な降伏と錯覚した人々が騒いだのが真相のようである。当時、北欧の中立国スウェーデンに避難していた日本人特派員の手記[7]によると、8月10日に日本が降伏する旨の報道があり、日本大使館からも同様の声明があったという。
昨日のニュースは今まで見たことのないニュースデ驚いたのは私だけでしょうか???
今まで韓国の光復節ってとりたてて放映されたことなかったかと思いますが
夕方甲子園の後の5時前のニュースで渋滞情報を得たいとNHKつけましたら
韓国の大統領ばかり続けざまに放映されていて
渋滞情報が見れず
がっかりいたしました
きっと文春でずんずん調査でよく調べてくださる堀井憲一郎さんなら今後調べてくださるのではないかと勝手に期待しております
お題はですね・・・政権が変わると放映される内容が変わるです
最近特に韓国もの多くないですか???
もうただでさえTV嫌いの私が
TV付けるたびに韓国のドラマ
韓国の食べ物(確かに美味しいものも沢山ありますが)
そして昨日にいたっては
自国の天皇陛下より
きっと多くの時間を割いて
韓国大統領の姿が垂れ流されたことと見受けます
きっと、洗脳したいのでしょうね
万が一このページを見てくださった皆様におかれましては
決して、日本人であるならばどこの政党に入れ誰に入れるのかを
今から冷静に準備して
有事に備えましょう
毎日キムチの顔は
見たくないです
でわでわ
私が育った横須賀は
風光明媚で、アメリカ軍の基地もあることから
特に同じ米兵でもfriendshipといって
日本人に怖い思いをさせないで優しく接すると教わった人たちが
上陸しているのもですから
お友達感覚で
米兵のpartyにも呼ばれ
アメリカにも自費で渡米いたして
空軍基地内のホテルに泊まった事まであります
しかし・・・私が生まれるずっと前に
占領されていた時代があったなんて
両親からも聞いたことございませんでした
昨日泊まりに行ったお宅で丁度ニュースが流れ
終戦記念日って色々言われがあるって知ってる??
と言われ知りませんでした。。。興味がなくって
と話ましたら色々と教えてくださりました
後、先週だったかしら・・・丁度私が読者登録させていただいているkonnitiwaさんのブログの中から
占領軍に侵されていた日々の国旗の事や色々リンク先だったかも知れませんが
読まさせていただきました。それをリア彼に当てはめましたら、1052年生まれなので
自分は一体占領下生まれかどうか気にしておりましたpppおめでとう・・・と笑っちゃいます
http://ameblo.jp/konichiwa/
http://ameblo.jp/konichiwa/
するとまさにタイムリー!!!
詳しく載っているではありませんか!!!
思わずコメントマデしてしまいました・・・
しかしながら、私の両親が知らないことを
1043年~1956年生まれの方が4名いらしたので、昨日教えてくださったことから検証してみました
忘れないうちに・・・野菜の収穫すごかったです・・・ご飯を全て畑からの物で賄えました・・・
おいらここのうちに嫁に行きたいですよ・・・
裏には竹藪があり
探検してきました
小川のせせらぎも聞こえました
ハーブで冷製カッペリーニも作りました
どう見てもイタリアンを作っているのに
なぜがお姉さま方は・・かわいらしくって
フレンチを若い人が作ってくれたっておっしゃって喜んでいただきました
なぜ???あら古希やあら環たちは
フレンチと洋食の事を云うのでしょうか????
分かり易くて可愛いですが
皆様がお元気の間に少しでも歴史的認識を
高めていきたいと思います
忘れてはいけないことだけは
良識と
節操と
見た目はどんどん進化して行きますが
忘れてはいけない何かをそっと守っていきたいと思います
ちなみに下はWikipediaからの引用です
終戦記念日で調べました・・・
日本国内
日本において第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)が終わった日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
1. 1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
2. 1945年8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
3. 1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
4. 1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。イギリスやアメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー(Victory in Japan Day)」と呼んでいる。国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多い。
現在の日本では、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日や終戦の日と称し、政府主催の全国戦没者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。
4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。一方、沖縄では、この日以降も1972年5月14日まで、アメリカ軍による占領が更に20年も続いたことから、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人々もいる[1]。
歴史 [編集]
1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。
1945年8月15日正午(グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えた[2]。
1945年8月16日、日本軍部隊への正式な停戦命令が行われたが、これ以降も大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止する為の戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた。また、戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。また、沖縄の久米島では、日本軍による住民の殺害(久米島守備隊住民虐殺事件)もあった。これらの戦闘は、8月下旬になると、概ね終結した。
1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が、降伏文書に調印し、即日発効した。1951年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印された。そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日をもって、国際法上、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結することとなった[3]。
法律 [編集]
引揚者給付金等支給法(昭和32年[1957年]法律第109号)は8月15日を終戦の基準とし、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和42年[1967年]法律第114号)は8月15日を「終戦日」と呼んでいる。1963年5月14日の閣議決定により同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。1982年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われており、お盆は月遅れのお盆と一致することから、お盆=8月15日となっている。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について(昭和57年[1982年]4月13日閣議決定)
1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2. 期日 毎年8月15日とする。
3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年[1963年]以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙 全国戦没者追悼式の実施について
1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年(1981年)の式典と同様とする。
3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。(全国高等学校野球選手権大会の会場でも、正午の時報直前にプレーを中断し、選手・観客らが1分間の黙祷を捧げる。3試合の開催となった2010年は正午時点で1試合目と2試合目の間のグラウンド整備が行われており、12時10分のプレイボール直前に黙祷が行われた)
地上戦が行われた沖縄では、6月23日に組織的な日本軍の抵抗が終結した。このため、現在、沖縄県では6月23日を慰霊の日として休日としている。アメリカ軍による正式な沖縄戦の終結宣言は7月2日であるが、沖縄征服は6月30日と記録している。しかし、その後も日本軍による抵抗は続いた。9月7日、南西諸島守備軍代表は、嘉手納の米軍第10軍司令部で降伏調印し、沖縄戦は公式に終結した。このため、沖縄県の公式慰霊施設である平和の礎では、沖縄戦終結の日を9月7日としている。
学校教科書 [編集]
小学生用社会科教科書や中学生社会科教科書(歴史分野)の多くは、終戦の日を8月14日か8月15日と記しており、9月2日については言及していない物もある。又、サンフランシスコ講和条約については、締結日の1951年9月8日について言及しているが、発効日の1952年4月28日には言及していない物もある。
しかし、高等学校日本史教科書の多くは、終戦の日を9月2日としている。8月14日は「ポツダム宣言受諾が決定され連合国側に通知した日」、8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」と記されている物が多い。例えば、高校日本史教科書の山川出版社の詳説日本史では、以下の記述となっている。
『昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国側に通告した。8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した。』[4]
日本国外 [編集]
9月2日を「終戦の日」とする国家 [編集]
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいる。当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、ポツダム宣言に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。
アメリカ:1995年9月2日には、対日勝戦50周年を記念して、記念切手が発行された。ただし、州レベルでは8月14日や8月15日とされることも多い。
カナダ:2005年に、勝戦60周年を記念して、「Victory 2-9-45」と刻印されたメープルリーフ銀貨を発行した。
フランス:2000年に、終戦記念日(フランス語: Fête de la victoire de 1945)である5月8日のVEデーに、反ファシズム戦争の勝利55周年を記念してイベントが開催された[5]。2000年9月2日に、対日勝戦55周年を記念する式典が、フランス国防省主催で行なわれた[6]。
ロシア:2010年、9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」に指定した。この他、独ソ戦の終結日である5月9日を「大祖国戦争終結記念日」(祝日)に指定している。
9月3日を「終戦の日」とする国家 [編集]
ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日勝戦記念日は9月3日だった。これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日勝戦祝賀会が行われた事に因んでいる。ロシア連邦では、ソビエト連邦の対日勝戦記念日を引き継いでいるため、9月3日である。
中華民国(現台湾)と中華人民共和国では、旧ソ連と同じく、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれた。
ただし、支那派遣軍岡村寧次司令官が中国国民政府と降伏文書調印した9月9日や、日本の終戦記念日である8月15日を対日勝戦記念日とすることもある。
8月15日を「終戦の日」とする国家 [編集]
大韓民国では8月15日を「光復節」と称して、日本による朝鮮半島統治からの「解放」を祝う日となっている。北朝鮮も同様に、8月15日を「祖国解放記念日」として祝っている。
備考 [編集]
ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8月11日に撮影されたものだという。この日、「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を打電した内容が新聞にスクープされ、正式な降伏と錯覚した人々が騒いだのが真相のようである。当時、北欧の中立国スウェーデンに避難していた日本人特派員の手記[7]によると、8月10日に日本が降伏する旨の報道があり、日本大使館からも同様の声明があったという。
昨日のニュースは今まで見たことのないニュースデ驚いたのは私だけでしょうか???
今まで韓国の光復節ってとりたてて放映されたことなかったかと思いますが
夕方甲子園の後の5時前のニュースで渋滞情報を得たいとNHKつけましたら
韓国の大統領ばかり続けざまに放映されていて
渋滞情報が見れず
がっかりいたしました
きっと文春でずんずん調査でよく調べてくださる堀井憲一郎さんなら今後調べてくださるのではないかと勝手に期待しております
お題はですね・・・政権が変わると放映される内容が変わるです
最近特に韓国もの多くないですか???
もうただでさえTV嫌いの私が
TV付けるたびに韓国のドラマ
韓国の食べ物(確かに美味しいものも沢山ありますが)
そして昨日にいたっては
自国の天皇陛下より
きっと多くの時間を割いて
韓国大統領の姿が垂れ流されたことと見受けます
きっと、洗脳したいのでしょうね
万が一このページを見てくださった皆様におかれましては
決して、日本人であるならばどこの政党に入れ誰に入れるのかを
今から冷静に準備して
有事に備えましょう
毎日キムチの顔は
見たくないです
でわでわ