今日でアメブロ始めて3週間たちました。

いっつもふざけていますが

今日は春のお彼岸というとこにかけまして

本気で まじめな話を 書こうと思いマス。


私のリア父は4年前の6月に食道がんという病気にかかり

3年前の明日3月23日に永眠いたしました。

発病して、検査して、手術すれば治ると言われ、

一応セカンドオピニオンにもかかり

両方の先生の意見が一致したので

彼は横須賀に住んでいましたが

看病を考えると

母よりかは私のそばで看てほしいということになり

東京の某有名大病院に入院して

化学療法 手術 化学療法 と繰り返しました

その間 誰もが 父は 復活するものと

信じておりました

しかし・・あまりの化学療法の苦しさに

こころが折れてしまい

2回目の途中で9月には

家に逃げ帰ってしまいました。

ちなみに 父は痛み強く 辛抱強いので有名でしたが

その父が もう 我慢できない・・って想像を超える痛み つらさ だったのでしょう

でもいつも周りのみんなで 絶対に治るからねって

励まし、本人も 絶対に負けない って気力は充分でした。


12月に入り3回目の化学療法がはじまりました。

ちょうど年末から始まり、

お正月におせちを張り込んで(たん熊さんの5万円のお重)を

持参したのですが・・・あんなに食いしん坊の父が

一切何も口をつけず・・・しょんぼりした顔をして

<シャンパンが飲みたい>っていうのです

でも

入院規定でそんなの無理だから

シャンメリー(クリスマスに子供が飲む用)を探しましたが

季節商品で 売っていませんですた。

あの時ファンタでもいいから

買ってあげればよかったんではないかと。。今頃反省しております。



そして無事に退院して・・・・

3年前の2月14日 バレンタインデーの朝 父からメールが


今朝入院した。来てくれドキドキ


驚きましたドキドキハートですよ

これはチョコレートの催促かいなっむっ

ふざけるな~~~って

でもしようがないから 義理チョコを買って お見舞いにいきました。


すると  ・・・    この前元気に退院したばかりなのに

急にやせ細り

ちっちゃくなった 父が ベットによこたわっていました。

でも  こちらが 驚くと良くないので 平静を装い

チョコほしさに入院したの?

なんて・・・バカ話して   

病室のセットも明らかに心電図や

簡易トイレや 見慣れない紙が貼ってあり  

ニコニコした顔から苦しい顔まで 5段階の顔が貼ってあり 

苦しくて 何も話せない状態を想定して 指さし確認させるじょうたいになっておりました。


しかも いままで 怖くて みんなに恐れられていた こわもて看護師さんまで

ご飯残しても 何にも 怒らなくなったりして

病院がよそよそしい雰囲気にかわっておりました。

それでも 病室に入ると 父は ペットの犬みたいに 尻尾(ないけれど)ふりふりして

まちわびてくれていたので  それから 亡くなる 1か月ちょっとは

毎日通ったり、泊ったりしておりました。

個室はちなみに1泊5万で、近所のホテルの方が安かったのですが

一緒に泊れるので 贅沢をしました。(お風呂もありますし、

父のおしもの世話もその方がよかったもので)

その間病室をピンクや黄色 オレンジなどの明るい小物や

ふわふわ小物や 抱き枕 などで メルヘンチックにして

熱が出たときなんぞ おでこに載せるヌレタオルまでピンクにして

とにかく明るく 前向きに なれるように HAPPYな

雰囲気を病室にとりこみました。


しかしながらガンの末期でしたので体中が痛みで襲われ

言葉にできない痛みで 空気が体に触れるだけでも

痛いという状態でした

かなり壮絶で・・・しかも私には一言も痛いとか苦しいとか

一切いわないのです。唯一ぐちをこぼしたのが

放射線が怖いと・・・

放射線をうけると決行する前に主治医の説明があり

患者同士で色々話したり聞いたりしていて

ほぼ治らず、体に穴があくと信じて疑わなかったのでした。(水槽みたいに体に水がたまるんだ。と)

先生は有無を言わさない状態で やらないと大変なことになるっておっしゃり

でも父は 先生にすべてをゆだねた以上 そこで急に男らしくなってしまい

<お願いします>  なんて かっこつけちゃって



それからは急激に病状が悪化してしまい

ただただ   広い個室を一日中徘徊して   自分の楽な姿勢をとるためだけに

集中していて、、、、

(ちょうどそのころ指輪物語を原作にした映画が公開されて はやっておりましたが 

それに出てくるいびつな 生き物 みたいに背中をいつも まるめて 丸はだかで)

一瞬麻薬が効いて寝ている間だけが父の至福の期間で 

モーツアルトを一日中かけて シルクの薄い

布をそ~~~っとかけてあげて 起きたら排泄と

台湾で覚えたホットタオルの パックをしてあげて

香りは病院のアルコールに負けないく
、近所のホテルの方が安かったのですが

一緒に泊れるので 贅沢をしました。(お風呂もありますし、

父のおしもの世話もその方がよかったもので)

その間病室をピンクや黄色 オレンジなどの明るい小物や

ふわふわ小物や 抱き枕 などで メルヘンチックにして

熱が出たときなんぞ おでこに載せるヌレタオルまでピンクにして

とにかく明るく 前向きに なれるように HAPPYな

雰囲気を病室にとりこみました。


そしてガンの末期でしたので体中が痛みで襲われ

言葉にできない痛みで 空気が体に触れるだけでも

痛いという状態でした

かなり壮絶で・・・しかも私には一言も痛いとか苦しいとか

一切いわないのです。

ただ

広い個室を一日中徘徊して 自分の楽な姿勢をとるためだけに

集中していて、、、、(ちょうどそのころ指輪物語を原作にした

映画が公開されて はやっておりましたが それに出てくる
 
いびつな 生き物 みたいに背中をいつも まるめて 丸はだかで)

一瞬麻薬が効いて寝ている間だけが父の至福の期間で 

モーツアルトを一日中かけて シルクの薄い

布をそ~~~っとかけてあげて 起きたら排泄と

台湾で覚えたホットタオルの パックをしてあげて

香りは病院のアルコールに負けないくらい強い

ブルガリのクリームを仕上げに全身にぬってあげました。

ものすごくきれいな おじいちゃん 病人 で

最後はおとめちっくラブラブ な かんじになりました

で・・・父のすごいところはここからです