先日の記事で、

満腹になったときには何で満腹になったかは大した問題ではなくなる

ということを書いたのですが、


「じゃあ結局特定の願望を持っても意味無いんじゃないか?」

というご意見をいただきました。



このあたりのニュアンスはとまどうかもしれませんね。


もちろん特定の願望を持つことは大変結構です。


一方で、よく願望実現系のブログや書籍には


「手放すことが重要」

「執着しない方がいい」



とも書かれています。


私もだいたい同じようなことを書いてます。



ではここでいう「手放す」「執着しない」とはいったいどういう状態でしょうか?


特定の願望を諦めて何が叶うかは成り行きに任せ、たまたま実現したもので満足するべきだという意味でしょうか?


私は「手放す」と「諦める」とはちょっと違うと思います。


「手放す」というのは、文字通り「自分(エゴ)の手から放す」つまりエゴ視点でどうにかしようとしないということ。

そして、「執着しない」というのは、その結果に振り回されないということ。


もっとシンプルに言えば、「叶って当然」と心配せずに構えて、現象化の如何に左右されないということだと思います。


叶って当然であれば、今現象化が見えなくても何も焦る必要はない。

現象化していようがいまいがそれがあなたの幸せになんの影響も与えない。


なら、これから目の前に展開するプロセスを楽しんでいればいいということになります。


そのプロセスを楽しんでいるうちに叶えたい願いが変わることももちろんあります。

好きな方、楽しめる方を選んでいけばいいと思います。


逆に、「手放せない」「執着している」とはどういう状況でしょうか?

「叶っていない現状」に強くフォーカスし、「何とかしないと・・・」と焦り、そしてそのとおりに現象化する、そのスパイラルに陥っている状態ではないでしょうか?


叶うから幸せになるのではなく、先に幸せを感じる、いや、最初から幸せであったことを認めれば、そのとおりにあなたの内面があなたの現実に反映されます。


「で、結局特定の願望を叶えるにはどうしたらいいんですか?」

と思われたと思いますが、その答えはあなた自身の中からしか見つかりません。


煙に巻いたわけじゃないですよ(笑)


具体的なプロセスはあなたの中から湧いてくるということです。

ただ、特定の願望に執着するあまり他の可能性をすべて排除する態度でいると、当初の願望も遠ざかるということです。


たとえば、あなたがある人物(仮にAさんとします)と恋愛関係になりたいと願っているとします。

このとき、


「絶対にAさん以外はあり得ない!他の人は一切お断り!」

と決め込んでいるとしたら、その「一切お断り」した幸せに至る可能性の中にAさんも含まれることになります。


反対に「Aさんなら最高だけど、どう転んでも幸せだ」と決めているならその中にAさんが含まれる可能性が高くなります。


別に最初Bさんと付き合うことになったとしても、あとからAさんと付き合うことになるかも知れないですし、もしかしたらBさんと付き合っているうちにAさんのことはもうどうでも良くなるかもしれません。


肝心なのは、あなたの幸せに条件をつけないことだと思います。


Aさんを好きという気持ちを無理に押さえ込む必要はありません。

でも、Aさんと結ばれなければ幸せでないと考えてしまうと、せっかくのAさんへの気持ちがあなたを幸せから遠ざけてしまいます。


もちろん、好きでもない人と無理に付き合う必要はないですが、Bさんもいいなと思うのならAさんに未練があっても付き合ってかまないと思います。


「そんなの相手に失礼だ!一番好きな人でなければ付き合うべきでない!」


とあなたのエゴは訴えてくるでしょうが、前述のようにやっぱりAさんと付き合うことになるかもしれませんし、Bさんの方がよかったということになるかもしれません。

エゴにはそんなことわからないので、あなたの理性や道徳心に訴える振りをしてあなたを幸せから遠ざけようとします。


これを「妥協だ、諦めだ」と考えるか、「最高の幸せに至るプロセスを経験している」ととるかであなたの現実も大きく変わるでしょう。


あなたが幸せに近づくかどうか、それを指針にしてみるといいと思いますよ。

あなたが自分で設定した条件をすべて取り払ったとき、最短であなたが幸せを感じる道が開けてくるはずです。



大丈夫ですよ^^


最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたが最高に幸せでありますように。
あなたは、絶対大丈夫です^^


すっかりご無沙汰してしまいました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?


メール等でご相談をたくさんいただいておりましたが、少しずつでもお返事させていただきますので気長にお待ちください。


「もう今さらいいよ」という方や、状況が変わったので内容を変更したいという方はご連絡ください。



さて、個別のお話はまたおいおいさせていただきますが、本質的なことをまた確認しておきたいと思います。


このブログでも何度も書いたとおり、


あなたの経験する世界はあなたの内面の完璧な投影に過ぎません。


ですから、否定することも怖れることもありません。


否定は分離につながり、分離されたものはあなたとひとつに戻りたくて何度でもあなたの前に現れます。

しかも、怖れれば怖れるほど強大になっていきます。


すべては「どうってことない」のです。

しょせんはあなたの内部の投影です。


起きてもいないことを起きているように見えているだけです。

そして、「ほらやっぱり起こっている」と証拠を自分で創り出してしまいます。


あなたが意識を向けたときにだけ、それは存在するように見えます。

あなたが関心を持たなければ、それはあなたの体験の中に存在できません。


怖れなくて大丈夫ですよ。



もうひとつ、特定の願望を満たしたいと願っているあなたへ少しヒントのようなことを書かせていただきます。

よく、「特定の願望に執着すると欠乏が前提となってしまい、結局叶わないのでは?」というご質問をいただきます。


ある意味正解ですが、特定の願望を持ってはならないということではありません。


何かが欲しい、何かになりたい、何かをやり遂げたい。


こういった願望を持つことは構いません。

執着しない方がいいというのは、その願望の実現があなたの幸せの条件になってしまわないようにということです。


たとえば、あなたが神戸牛のステーキを食べたいとします。

そして、「絶対に神戸牛でなければ私のお腹は満たされない」と思い込む。


これが執着です。


たとえ吉野家の牛丼であったとしても、あなたが満腹で食欲を満たされていれば、あえて「どうしても今すぐ神戸牛を・・・」とは思わないでしょう。


「ああ、お腹いっぱいだ。神戸牛はまた今度でいいかな」

そんな感じになると思います。


このとき何が起きているのでしょうか?

あなたはお腹がいっぱい = 満たされています。

それは神戸牛だろうが牛丼だろうが同じことです。


それを神戸牛じゃないからいくら食べても満腹にならない、満たされないと思い込むのが執着です。

そして実際に神戸牛を食べるまで満腹になるのを延々と先延ばしし続けるのです。


「じゃあ神戸牛は諦めて牛丼で我慢すればいいってことか!?」と思われたかもしれませんが、そうではありません。

諦める必要はありませんが、満腹になったときには何で満腹になったかは大した問題ではなくなるということです。


エゴによるフィルターがかかっていない本当のあなたは常に満たされた状態にいます。

満たされているということは何も欠けていないということです。

すべてが叶っているという状態の中には当然、あなたの特定の願望も含まれています。


それをわざわざ「叶っていない状態」を設定しているから「叶えるべき願望」としてあなたの世界に現れるのです。

あなたが何かを「足りない」と認識したとき、世界はあなたの認識どおりにあなたの眼前に展開します。


あなたが意識を向けたものが現れてきます。


このことについてはまた別途詳しく書いていきたいと思います。




大丈夫ですよ^^

必ずあなたは幸せだと知ることが出来ます。




最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたが最高に幸せでありますように。
あなたは、絶対大丈夫です^^
ご無沙汰しています。

すっかり更新が滞ってしまっていました。



「もう更新しないのですか?」

「早く続きを書いてください!」


といったメッセージもたくさんいただきました。

ありがとうございます。




以前の記事かコメント欄で、

「お急ぎのご相談は直接左サイドバーのメールフォームからお願いします」

と書いたところ、予想以上にたくさんのメールをお寄せいただき、しばしの間そちらの方へ注力していました。



基本的に順番に返信させていただいていますが、内容によっては多少の順番飛ばしもありますのでご了承ください。




昨日は3月11日でした。

ことさらにこのタイミングで何かを言おうかとは思っていなかったのですが、やはりその日が近づくにつれて強烈な体験からくる思い、思考や様々な感情に押し流されてしまいそうな方々からのメッセージも増えてまいりました。



何度もくり返しになりますが、


「あなたが見ている世界はすべてあなたの創造物です」


あなたが気に入ろうが気に入るまいが、すべてがあなたの内面からの投影です。


でも、その投影にあなた自身を左右する力を与えるかどうかはあなたが選べます


「なんでこんな現実を創ってしまったんだ・・・」


などと考えないことです。


考えてもエゴが納得する論理的な答えなど出てきません。



投影に力を与えるとは、あなたとは関係ない何者かの力や法則によってあなたの見ている世界が創られたのではないかという認識によってなされます。


あなたが自ら創ったと受け入れたものであれば、それはあなたと一体です。

あなたと一体のものはあなたを傷つけることはできません。



あなたが

「これは自分が創ったものではない!」

と拒絶すれば、それはあなたの外部にあなたの意図とは関係なく存在するものとなり、あなたと同等の力を(あなたの世界の中において)持ってしまいます。

その力を与えてしまったのは他ならぬあなた自身です



過去も未来も、今この瞬間あなたが創造しています。

言い換えれば、過去も未来も本当は存在していません。


今あなたが感じているこの瞬間、この一瞬のみが真に存在しています。

この瞬間、あなたを脅かすものは何もありません


そこに完全な安心があります


過去を悔やみ、未来に脅えるとき、あなたの意識はこの瞬間からそれています。



「過去を変えたい」と願うとき、その「変えてしまいたい過去」を今創り出しています。

「未来が怖い」と脅えるとき、まさに「思ったとおりの怖い未来」を今創り出しています。



そしてどちらも実際の体験のようにあなたの意識はそれを感じます。

あたかも、過去から現在、そして未来へと時間が連なって流れているかのように感じます。



「否定」「拒絶」から入るとき、それに力を与えてしまうのです

「肯定」「許容」することによって、その力はあなたに属するものとなります。(本来はもとからそうです)


「肯定」「許容」とは、無理やりポジティブに考えるということではありません。

それがあなたにとっては望ましくないものであっても、ただそれが起きたことを認識する、認めるということです。

そのことによってあなたにネガティブな感情が訪れたら、「今ネガティブな感情がわいてきた」とただ見つめるだけです。


あなたはそれを経験した。

ただそれだけのことと認定することです



そのことにことさら重要な意味を持たせないことです。

あなたが創り出したものに、本来あなたをどうこうする力はありません。


その認識を持ち続けることです。

あなたは、大丈夫です





・・・と、ここまで書きましたが、


私はこの見解を強制するつもりも広めるつもりもありません。


ときどきディベートやケーススタディのような内容のメッセージもいただきますが、

私は哲学者でも教祖でもないので、議論にも問答にも興味がありません。



このブログをはじめたのは、ただ単に書きたくなったからです。

特に理由はありません。

本当は私の中の深い部分で何か理由が存在しているのかもしれませんが、今のところ特に知りたいとも思っていません。


ただ、私は書くのは好きですし、私の言葉を必要としている人がおられるならできる範囲でお応えしたいとは思います。



メールやメッセージの返信がまだの方も、コメント欄に書き込んでいただいた方も、いま少しお待ちください。


大丈夫ですよ。


私の世界に登場してくれたあなたに深い感謝と愛を。





最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたが最高に幸せでありますように。
あなたは、絶対大丈夫です^^