TOKYO DESAINERS WEEK(ジャラパゴス編) | Living with little girls …絵本をよんで、おやすみなさい… in 香港

Living with little girls …絵本をよんで、おやすみなさい… in 香港

インターで英中を学ぶ姉妹(2012.12/2017.3)の記録。バイリンガル育児での発見や驚き、迷いなど。のんびりやで読書家の長女(ピアノ)とワールドワイドな愛嬌を振りまく次女(バイオリン)。#帰国子女受験 #海外で子育て #香港でおでかけ

今回からアートを融合させたいということで、
「ジャラパゴス展」なるものがあわせて開催されました。
携帯に代表されるように、日本人の趣向に合うよう、
元来の生真面目さをもって独自の文化を育んできたら
古代が残るガラパゴスのように世界の孤島となった。
というのは最近よく言われますが、
その孤島で生まれる現代アートの展示でした。

これ自体は、いまひとつどう評価したものか、というのが正直なところ。
ジャラパゴスであることを皮肉った姿勢はまあありとして、
そこになんらかの活路や未来を見出そうというには退廃的な姿勢が
気になったのか。個人的な意見なのですが、芸術やアートとして
思想の導き手であってほしかったな、と。

世界に光が満ちていることを示したモネ、
無意識の世界を提示したダリ、
「雨はガラス窓の花」といった尾形亀之助、

例えがこれでいいのかは分からないのですが、
閉塞感漂う日本の将来に対して視点を変えられるようなものを見たいと思った。

しかし、ここで改めて「ジャラパゴス化」について
そこからの脱却について考えてみたいと思う。

そもそも、規模が小さい以上、どれだけ技術を進化させても
日本のガラパゴス化は逃れられないということ。ここに立ち返る必要があると思う。
それがマイノリティとしての宿命なのだから。

車や白物家電などで米国で受け入れられ、
日本は世界に通用すると強めていた自信が揺らいでいるのは事実。
携帯事業参画の失敗、LEDテレビの遅れ、i podの独走・・
そして、今まで友と頼んで形振りかまわずついてきた米国自体のステータス低下。
追い討ちをかけるような、中国の規模で押す戦略。
足元は混乱しているものの、ユーロが盛り返すのも時間の問題。
規模の時代にきているのだ。

日本人は、規模の時代が終わるまで、失われた10年を重ねていくのか?
それを決めるのは、下に述べることに答が出せるかではないだろうか。

・日本企業が活路を開く存在であると、全国民が政府含め認識すること。
日本企業同士の過度の競合は体力低下に繋がるとわきまえること。
・友を選ぶこと。地理的な面に恵まれたアジアとは、
戦争による心的負担をかこつけた覇権争いが必至。
金融基盤を活かす可能性を真剣に検討すべき。
・独自性と規模は並存できることを認識する。
一番強いのは、需要の規模と供給の独自性が叶えられた市場なのだから。

今日は、ちょっと真面目なお話でした。