こんにちは
覚醒ブログへ来てくださり
ありがとうございます✨
今日の記事は
↓↓
「意識界に描く全て」を、肉体という物質を決定の意のまま自由自在に動かして、自らで「物質界」へ具現化すると、その体験を「生きる」という事が可能になります。
という箇所を読んだ後に、
この一節の意はこういう事なのか⁈💭
と、
日常の自身の体験に当てはめ
ふと浮かんだ事を綴ります✍️
10月上旬
朝からめちゃ歩いた日があり
(数値で言えば、12キロ・18000歩🐾)
その夜に
右足首に少し痛みが出てきて
「あっ、ヤバい。」と思った私がいました
右足首は
4月にバイト中に捻り
軽い捻挫をして以来
長い距離を歩いたり
走ったりすると
後々、少し痛みを感じる時も
ある為
その日は
よく歩くことは
最初から分かっている事だったので
予防として念の為
事前に
右足首にサポーターを巻いて
歩いたのですが
結局
カバーし切れずに
足首に痛みが出ている状態を
創りました🐾
そして
あっ、となる
。
。
。
4月のあの時に
足首を捻った事実を軽視して
「少々痛いけど、歩けるし大丈夫👌」
として
現実の到来(軽いねんざ)を受容せずに
それを否定してバイトを続けた。
という「果」の到来なんだな、これは。
あの時、最優先の軸が変わったのに
(バイトだったけど→ねんざに)
でも、
ねんざに対する創造に軸を変える。
という
最善の動きをしなかったのは何故か?と
問う
仕事が超多忙なのに、人員不足だったから
ここで自分が帰ったりすると
さらに人員が減って大変になるのが
目に見えて分かるし
それはさすがに申し訳ない
…足首の痛みはあるけど
やってやれない事は無さそうだし
少しペースが落ちても
仕事を続ける事を選んだ。
という
一見、周りの事を考えてるかのような
答えを出す。
でも
それは
罪悪感がヤダから…😖みたいな理由で
単に自分がやりたい方を
自我が選んでやった。だけ
単なる言い訳に過ぎない
現実に
ねんざが到来したのに
ねんざをした自分に対して動かず
流して放置した状態
到来した現実を受容せずに
罪悪感から
目を逸らして
逃げ💨
自我的に
楽を選んで
仕事を続けている。
↓
↓
今、
その時
放ったものが巡って還ってきている
この
現実を受容せずに、否定して
仕事を続けたという「果」の到来を
どう捉えてどう動くか。
それによって
タイムラインは変わるってことなんだな。
この今の意識の在り方で変わるんだなぁー
とふと思う💭
📒📖📒
そして
ノートに
例えば〜として
①と②に分けて
意識の在り方を書いてみる✍️
①あの時、優先軸が変わっていたのに、その対処の学びが出来ていなかったから、今回こんな状態を招いたんだよなぁー…。
あーあー…でも自業自得だなこりゃ。
あの時ちゃんとしていればよかった…でも仕方ないよねもう。
といった捉え方で、否定をまた繰り返し
過去と今を繋げて
後悔や無価値、虚無、を使い、受け身的な諦めの世界を創造するか、
②課題の再到来だな。あの時申し訳なさすぎる。と、罪悪感がヤダ😖耐えられないからっていう理由で
自分がやりたい方を選んだ(自我での選択)
その還りだから、同じことはもうしない。
課題クリアに向かうなら、自分への行動に徹してみよう。
といった風に、課題クリアに向けて今、出来る事をやる。といった観点で現実を捉えるか。
その、今のわたしの選択決定によって、
次に到来する現実が変わるんだなー。
と、今さらながらピッと認識が更新され
②を実行した私
今、右足首が痛い。ことを受容して、
それに対して動いていくのみだな。
具体的には
現実の生活では、色々することがまだあった状態でしたが、
痛いサインを無視せずに足首に湿布を貼り、テーピングサポーターで固定し、安静にして翌朝まで様子を見ることに。
翌朝、痛みは無くなり普段通りに動けた。という現実(果)を受け取った🤲
🌏🌏🌏
こういう事なのかな?はて?
創造は意識とエネルギーが全てってのは?
と、考えを巡らす
そんな時には決まって
次のお題がやってくる
「行動グラウンディング」は世界線変更の「動」
「目の前の現実を変える為」の動にあらず
到来した現実は全て「形」になっているので
それがどんなに「好ましくない状況・状態」でも
「受け容れる」事は必須で、それによって
「起点」が創造されリスタートが可能になります。
「行動グラウンディング」というのは「意識」を
「動エネルギー」で物質界に定着する創造。
ただの「行動」とは異なる点がポイントです。
行動と、行動グラウンディング
それぞれを
私はどう捉えているのか?
という問いが次は生じています
他にも
次々と問いは生まれて
まだあります
が、
文にすることが追い付いてない状態📝(・・;)
🌏🌏🌏
意識界と物質界を繋ぐ一員として
私は3次元に存在しているのだが
先月 ガイドさんに、
イメージしたものを3次元に降ろせない=設計図を描けない人=わたし=現在地の認識不足な人。だという事実を突きつけられている
「雑な観察」を観察として出来ている。と思い込んでやってきたから(2年間ほど)、そう提示されただけであり
実際に、その通りで
今のわたしは、
「観察が出来ない人=創造が出来ない人=意識界と物質界を繋ぐ者としてかなり未熟者」
↑
このわたしが思い描く世界を3次元で具現化するのならば、
この瞬間に提示される課題をクリアし続けて進む。というだけなので🐾
自身の課題を
流し観ては垂れ流しをするではなく
濃やかに観察をして
そこから課題を認識して
課題クリアの歩を進めます🐾✨
長文に
お付き合いいただき
ありがとうございます✨
一彩
❤️🌏❤️
きらめく個性! 全国障害者作品展🌈
個性溢れる沢山の作品を鑑賞してきました♪✨
では
素敵な1日を💓